02月17日 [雲]
ここ数日毎日のように夕陽を見る。正確には雲の流れを追うのが好きだ。
霧のように渦巻き、刷毛で描いたかのような雲が急流のように流れてくる。
雪雲の不穏な黒雲に、雪よりも白い夕陽で輝く雲。
何層にも重なる白と、白のバームクーヘンのような雲。
雲の切れ目に、天青のような蒼が見え隠れする。
高みに
もっと高みに
生き物の気配
雪雲に近く 一声
白く煙る木立
黄金の雲
光の束
雲の影
涯なく
光の海
空の海
曽我の梅見に出かけた 今年も会えた色
霧のように渦巻き、刷毛で描いたかのような雲が急流のように流れてくる。
雪雲の不穏な黒雲に、雪よりも白い夕陽で輝く雲。
何層にも重なる白と、白のバームクーヘンのような雲。
雲の切れ目に、天青のような蒼が見え隠れする。
高みに
もっと高みに
生き物の気配
雪雲に近く 一声
白く煙る木立
黄金の雲
光の束
雲の影
涯なく
光の海
空の海
曽我の梅見に出かけた 今年も会えた色
01月22日 [雲]
十二月十九日 [雲]
雲のありかを尋ねると、何もない時から一面の空をおおおう時と、一片の雲が漂う時と様々。
刻々と変化する雲の下で様々な生き物たちが蠢く。その中間の大気圏の世界にも漂う生命がある不思議。
生命はどこから来たのか。今日もいい天気に感謝。ひたすら感謝の朝。
昭和2年12月19日のこの日、湘南大磯で夜番の太鼓。大磯町各町内で12月から3月か4月にかけて、太鼓を打ち火番をする習慣があった。火番とは火の用心の警戒を知らせる太鼓だったのだろうか。風の強く吹く季節と、この町では何度も大火に見舞われ、用心を重ねる習慣が根付いたことからなのだろうか。今か時折、夕刻に高麗寺の鐘の音が聞こえるのみ。
高麗寺山は銀世界に昭和2年の今日覆われたという。平成27年の今朝も暖冬、12月とは思えない暖かさ。
昭和11年の今日、濃霧のため立川航空研究所の偵察機が、大磯北浜海岸へ不時着。搭乗者に藤田大尉。
雲走る師走の浜や町灯り むおん
十月二十七日 [雲]
九月五日 [雲]
二月二十六日 [雲]
今朝は、高さあるものについて考えた。高度成長という言葉があった。経済がある高みを目指し、実際に好景気としての持続性を保ち、経済発展を遂げた。物質としての高さを人間はどう感じていくのか?高層ビルを見るといつも考えてしまう。超高層ビルを高速度で垂直移動するエレベーター。数百階や数十階の高さへ垂直移動を階段での歩行は難しい。非常時には階段を使わなければならないが、これは日常ではない。
人は遠距離の移動を主に水平移動で行ってきた。大地を歩き、走り、馬に乗り、鉄道に乗り、船に乗り、飛行機であれ水平に移動して、ある地点に移動した。アルピニストが山に登る垂直移動は日常ではない。
高層ビルができ、地下の都市ができ、いつか人々は垂直移動しての空間を日常にしてきた。たかだか数十年の歴史なのだが。
超高層ビルに住む人々を思うと何か気が遠くなる世界に思える。
その高層から見下ろす世界は、何か鳥たちの眼をも超えてしまった。バードビュー鳥瞰する世界は、何か支配階級や上流階級というイメージまでも生み出す。現実に超高層のフロアーは高く取引され、成層圏旅行は今でも高額料金だ。超高層で暮らす人々とその人生何故か考えてしまった。
約100年以上前の昔に百科全書派と呼ばれた人々がいた。彼らの時代百貨店というものも同時に誕生したということに興味を持った。誰かが百貨店は人間の体の構造によく似ているという話を思い出す。客は地上からエレベーターで屋上もしくは最上階の催し物売り場に運ばれる、そして一階までのフロアーを噴水効果という仕組みで巡回させ地下へと降りる。
各フロアーが人間の欲望や内臓器官と対比させていたのだが忘れた。
言えることは、頭に当たる上層階に、脳や重要なセンサー器官や最優先の機能が集中しているということ。そして人間の足に当たる機能がそれを支えているということ。現代の縮図の科学万能主義、経済優先主義が超高層ビルの姿にも重なる構図が興味深い。
かって地下や、天空に天国という理想郷があり、水平な西の彼方に彼岸があると信じていた人間は、物理的な空という空間を占領し始めた。
昔、一本の蝋燭を手に蝋をしたたらせて祭壇に捧げる人の指先と、日本では見かけない細く長い蝋燭を見たパリの教会での光景が忘れられません。
その細く長い蝋燭は、教会のドームの高い空間に呼応していたのを後から知ってからです。教会の高い尖塔は神々の住む国を指しているのも後から知りました。寺院の尖塔や鐘楼はイスラムでも、キリスト教の国でも、仏教の寺院でも見かけました。
人は高きになぜ昇りたがるのか、それは支配するためか、己が小さきことを知る為か、様々な情報や未来が高い位置からわかるからなのか。でも地上に降りた時の存在も知らなければならない。小田実さんの「鳥瞰と虫瞰」の世界観を思い出しています。
人は遠距離の移動を主に水平移動で行ってきた。大地を歩き、走り、馬に乗り、鉄道に乗り、船に乗り、飛行機であれ水平に移動して、ある地点に移動した。アルピニストが山に登る垂直移動は日常ではない。
高層ビルができ、地下の都市ができ、いつか人々は垂直移動しての空間を日常にしてきた。たかだか数十年の歴史なのだが。
超高層ビルに住む人々を思うと何か気が遠くなる世界に思える。
その高層から見下ろす世界は、何か鳥たちの眼をも超えてしまった。バードビュー鳥瞰する世界は、何か支配階級や上流階級というイメージまでも生み出す。現実に超高層のフロアーは高く取引され、成層圏旅行は今でも高額料金だ。超高層で暮らす人々とその人生何故か考えてしまった。
約100年以上前の昔に百科全書派と呼ばれた人々がいた。彼らの時代百貨店というものも同時に誕生したということに興味を持った。誰かが百貨店は人間の体の構造によく似ているという話を思い出す。客は地上からエレベーターで屋上もしくは最上階の催し物売り場に運ばれる、そして一階までのフロアーを噴水効果という仕組みで巡回させ地下へと降りる。
各フロアーが人間の欲望や内臓器官と対比させていたのだが忘れた。
言えることは、頭に当たる上層階に、脳や重要なセンサー器官や最優先の機能が集中しているということ。そして人間の足に当たる機能がそれを支えているということ。現代の縮図の科学万能主義、経済優先主義が超高層ビルの姿にも重なる構図が興味深い。
かって地下や、天空に天国という理想郷があり、水平な西の彼方に彼岸があると信じていた人間は、物理的な空という空間を占領し始めた。
昔、一本の蝋燭を手に蝋をしたたらせて祭壇に捧げる人の指先と、日本では見かけない細く長い蝋燭を見たパリの教会での光景が忘れられません。
その細く長い蝋燭は、教会のドームの高い空間に呼応していたのを後から知ってからです。教会の高い尖塔は神々の住む国を指しているのも後から知りました。寺院の尖塔や鐘楼はイスラムでも、キリスト教の国でも、仏教の寺院でも見かけました。
人は高きになぜ昇りたがるのか、それは支配するためか、己が小さきことを知る為か、様々な情報や未来が高い位置からわかるからなのか。でも地上に降りた時の存在も知らなければならない。小田実さんの「鳥瞰と虫瞰」の世界観を思い出しています。
二月二十三日 [雲]
昭和2年大谷光瑞師来磯、大磯駅より線路際を西に坂を下ったあたりに浄土真宗大谷派の別院があったようだ。南下町の篠田別荘にて静養、どう別荘より各地に往来とある。大谷光瑞とは、西欧列強のアジア侵略が激化し始めた20世紀初頭、インド仏跡の巡拝と海外における宗教活動の視察のためロンドンに赴き、ヨーロッパの各国が国を挙げて東洋学に取り組んでいるのを目のあたりにし、衝撃を受ける。「キリスト教徒が仏教の遺跡を探検しておるというのに、われわれが坐視するわけにはいかん」国家的大事業である西域探検を西本願寺という一教団の力で押し進め、世界を驚嘆させた浄土真宗第二二代門主、大谷光瑞は興味深い方である。
戦後、インドへ青年団を移住計画は壮大な狂気を感じる計画ですが。
昭和12年大磯で伝書鳩、坂田山や高麗山での情死行為頻発のため捜査連絡の敏を図る。伝書鳩が、心中多発の情報を運んだ時代。何かネットの現代では感無量ですね。心中と伝書鳩なにか組み合わせがフィットしていて思わず空を見上げてしまう雨上がりの朝でした。昨夜は春一番のような大風が吹きました。
二月十六日 [雲]
雲の沸き立つ光景は、雲の下の地形によって変わると言う話を聞いて、なるほどと判ったような気がしたことがある。大地の気温や風の動きで、上空の雲も大きな影響を受け、雲の下の地形が、空の雲と大いに繋がった関係の証明となっているのだろう。空の雲は、地形の大きな地図でもあるのだろうか。雲図という言葉はないが、雲のかたちはある。数日前夕日が雲の端を染め、巨大な雲が巨人のように見えた。ダイダラボッチは冬の空を歩み、夕闇に消えていった。
建久元年(1190)二月十六日、河内の国弘川寺にて、西行法師歿す。旧暦の二月十六日では桜も咲くのにまだ早いと思うのだが、新暦では3月の末なので桜も蕾を開いていたのだ。ねがはくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月の頃 と法師は歌い花びらが舞う中、思い通りの生涯を終えたとか。その西行ゆかりの鴫立庵が大磯の町にある。江戸中期に西行を慕う大淀の三千風によって庵が開かれ、法師500回忌も行われととかの話、その後三百年の月日が流れて八百年の時が重なった。
旧暦の二月十六日平成27年の今年は、4月4日ですね。望月と桜、さぞ美しい光景でしょうね。
建久元年(1190)二月十六日、河内の国弘川寺にて、西行法師歿す。旧暦の二月十六日では桜も咲くのにまだ早いと思うのだが、新暦では3月の末なので桜も蕾を開いていたのだ。ねがはくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月の頃 と法師は歌い花びらが舞う中、思い通りの生涯を終えたとか。その西行ゆかりの鴫立庵が大磯の町にある。江戸中期に西行を慕う大淀の三千風によって庵が開かれ、法師500回忌も行われととかの話、その後三百年の月日が流れて八百年の時が重なった。
旧暦の二月十六日平成27年の今年は、4月4日ですね。望月と桜、さぞ美しい光景でしょうね。
一月二十五日 [雲]
天変地異 [雲]
昨夜は十三夜だった。茜雲の上に月が顔を覗かせている。海辺に出れば、此の月の下の辺りの海上に、伊豆大島の島影が望めるはずだ。湘南のこの町から相模灘の海上を直線距離で五六十キロ南方に、大島の姿を望める。晴れた日には、三原山の噴煙や、裾野に雪を見かけることもできる。
大島側からもこの町で正月どんど焼きをする火が望めるという。そんな島で台風による大惨事があったという。伊豆の踊子や、椿の島として有名だが、島へ渡ったことはない。
惨事に遭われた方々のご冥福と、行方不明の方々の御生存を、心から祈ります。
海も、川も、雲も、水であることを今更ながらに思う。キーボードを叩くわが身の大部分も水であることを。水の姿の変げの様を何か恐ろしく思う。自然を畏怖することを忘れてはならない。