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六月八日 [空]

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昭和10年のこの日、湘南大磯の蛍狩り、新名所として磯の窪を指定。旧字名や住所の検索ではこの場所は特定できない。磯は小磯を表し、窪は谷あいの地形なのだろうがわからない。今でも数匹のホタルが見かけられるこの町。
ご近所で「鈴虫差し上げます」の張り紙を見かけた。十数年前にこの町に引っ越してきた時、町の郵便局のカウンターにも「鈴虫欲しい方差し上げます」と鈴虫の篭が置かれていた。
気に入って毎年いただくが卵を還した試しがなく情けない。いつのとしか甕いっぱいに鈴虫をいただき家中に逃げ出し、鈴虫の狂瀾の夜になったことがある。今年は少しだけいただき楽しみたい。

昭和11年湘南にラジオ自動車。平塚の平田自動車、避暑客ドライブ用のラジオ据付自動車を試運転。今では日本のどの車でもラジオは標準仕様で取り付けてあるのだが。

虫の音もラディオに合わせ騒ぎ出し  無音

積乱雲青き空消し憂さも消し  むおん

あおばとの雲を断ち切り海へ堕ち  ムオン


五月二十二日 [空]

暦の上では、旧暦夏なのだろうが、見事な夕焼けを見た。午前中桜島の噴火のような積乱雲が立ち上り、一昨日の晩は激しい雷雨となった。天を裂くような激しい雷鳴。箱根の山が噴火をしたような地響きと、槍を落としたような雨飛沫の音。大自然の力は恐ろしい。見事な夕焼けの一刻一刻と変わる様に見とれてしまった。夕焼けの色の基調には秋の気配がたくさん含まれていた。
季節は同居しているのにまた気づく。空の秋、雷雨の夏、桜の蕊にみる、春の名残り。

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明治43年(1910)5月22日自転車で世界旅行中のアメリカ人、湘南大磯滄浪閣の前で故障。どんな故障だったのか。自転車で世界を回るアメリカ人、彼が生きていたら現在105歳。日本で現在100歳以上の現存者60000人とか。100年前の光景を見た其の眼は120000個、100年前の音を聞いた120000個の耳。愉快なり。

五月十六日 [空]

私鉄沿線の電車に乗って驚いた。電車に座れて居眠りをしていて目がさめると突然車内に繋ぎの作業着を着て脚立を持った男性が乗り込んできた。次の駅まで乗っていくのだろうとぼんやり考えていたら、横列の座席の数名隣の女性客の前に脚立を広げていた。無言で網棚の手摺を片手で掴み、片手にドライバーを手にすると額面広告のあたりのビスを回し始めた。微かな埃が乗客の上に落ちるが乗客はびくりともしない。こんな光景に慣れているのだろうか。無視する態度も何か不自然だ。走行し始めた電車の中で作業員は4箇所ほどのビスを外し何かを始めた。言葉を発しない彼は、出稼ぎで海外からやってきた人なのか。車内の乗客に挨拶をして作業にかかれとマニュアルにはないのか。マニュアル以前の世界だ。数メートル先で起きている光景が何かシュールな光景に思えてくる。日常と非日常の違いは何なのか。
数十年前に、私鉄の走行する車内で、中吊り広告をあっという間に外し、新しい中吊り広告を差し込んで、電車内を手際よく交換していくプロの作業員の姿を思い出した。一車両に何枚もぶら下がる広告をあっという間に変えていく姿に、その時は拍手をしたい気分だった。
昨日の私鉄の光景とは何かが違う。電車を乗り換えJRの車内で額面広告が飛び込んできた。
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空を飛ぶ八人、その路上の影も八人あるが何か怪しい。ワンショットのシャッターチャンスが捉えた写真なのか、合成なのかじっと観察する。遠い昔若い頃の自分も空を飛んでシャッターを切ったことがある。何故か空を飛ぶ時脚は開いてしまう。何故なのだろう。閉じた脚は空には似合わないのか。スーパーマンやアトムの脚は両脚を揃えて魚のように空を飛ぶのだが。
額面ポスターと、かっての私の空を飛ぶ一瞬のカタチは見えを切っていたのだ。
いつかこのブログで空飛ぶ彼女で有名な写真家を見つけた。
http://silentsilent.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_d17/silentsilent/E382B9E382AFE383AAE383BCE383B3E382B7E383A7E38383E38388EFBC882011-11-25209.40-a019d.jpg?c=a0彼女はまだ空を飛んでいるのだろうか。動画となると魔女のように自由に飛び続けることができるのだが。

昭和8年5月16日 湘南大磯上空にて、湘南号ともう一機が感謝のビラ、数万枚を散布。感謝のビラには何が印刷されていたのか。他高等飛行も見せる。人間のパイロットが機械を操り操縦し、腕を見せた時代。ドローンが飛び地上で操作する人間。時代は変わり空を飛ぶ夢は何か悲しいほど遠くなったのかもしれない。ビラが空を舞い、大きな飛行船が海の上を鯨のように飛行する時代、空はとてつもなく大きく感じられた。

五月五日 [空]

今日は午前中、ある島を目指して自転車で15キロほど行ってきました。曇り時々晴れの天候で、海岸沿いの道路や、サイクリングロードを、トコトコと走りました。島は中国語や台湾語が飛び交い国際色豊かな人々の群れが何かを求めて右往左往していました。

明治31年の今日、横浜元町から国府津迄を自転車倶楽部の競争会があったそうです。
青い目の走者も混じっていたような気がします。当時の自転車さぞ重かったような気がするのですが。空は青く砂埃が舞う道路だったのでしょうか。

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三月二十八日 [空]

ミモザが庭で満開で、空を見上げたら上弦の月か、下弦の月。500ミリ相当の画角で菜の花のようなミモザの花の黄色い惚けです。下弦の月旧暦22日頃と辞書にあり、上弦の月は毎月7日頃右側のある月とあるので、昨晩の月は下弦の月でしょうか。
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昭和9年3月下旬、鮪の大漁113尾、一尾57円50銭で取引。
昭和9年頃の物価、一ヶ月の新聞料金が1円、サラリーマンの月給が100円。鮪の57円は相当な金額だ。平成27年300キロを超える鮪が水揚げされ500万円近くで取引された漁場がある日本。こんな豊かな魚の国は大切にしなければいけませんね。



三月十日 [空]

昭和6年、岡麓54歳は大磯に行き、西小磯の小山に遊ぶ。短歌「大磯」六首『岡麓全歌集より』。岡麓は歌人なのだろう。歌集の中の六首を詠んでみたい気になります。
今日は東京大空襲の日から70年という。ご近所に98歳の方がおられ話を聞いたのは、大空襲の日の後で、都内から御郷里の成田まで歩かれたという話を思い出した。その方が見られた光景は凄まじいものだったのだろう。遺体を運ぶ列車が多く、成田までは列車に乗られるような状況でなかったという。痛ましい光景は想像するしかないが、同じ光景が世界中で今も起こっているのだという想像力を持たないといけないと思う。この日の祈りだけでなく、毎日が祈りと感謝の日でありたい。

平成27年3月10日 午前中東の空には積乱雲の雲海が刻々と変化していく。冬の積乱雲、昔はこんな光景は夏だけではなかったのかと思う。

生き物のような積乱雲、激しく空を喰べていく。
光の中に凄まじき存在感あり。

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