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七月三十日 [手紙]

『歴史とは 現在と過去の間の尽きることを知らぬ対話』
こんな文字の活字を今朝は追っている。ご近所に98歳のご老人が居られる。彼は夏の今頃になると多くの戦友のことを思い出されるという。戦友の誰かはわからないが声が聞こえ、70年以上前の世界を思い出されると、両目に溢れるほどの涙を浮かべ、声が嗚咽に変わる。

その涙の両眼で、ご覧になり、耳で聴き、ものに触り、ものを食べ、家族を思った世界や、女性たちを愛し、子供たちを愛した世界はどんなだったのか。私には決してわからないが、その世界から今まで生きてきたという御老人は私の目の前にいる。歴然と存在する。その存在感は恐ろしい。

信長が生きた時代、そこに生きた人々は、信長という名を聞いただけで恐れおののく恐怖を持ったという。信長が死んで数百年後、信長は歴史上の英雄となり、恐怖を覚えた人々の歴史は残っていない。今戦争体験者で当時を語り、生の肉声で、皺だらけのその顔と手振りで語ることのできる人は戦後70年非常に少なくなられている。歴史の証人の体験や教訓を受け継ぐ最後のチャンスとも言われている。

記録技術が進んだ現在、ビデオや書物での記録も重要だが、生の時間を共有させていただくことは何よりも大事と実感する。記録はいかようにも編集され、好きなように時代に合わせ誇張されるからだ。

冒頭の言葉は、英国の歴史教授のカー先生が言った言葉だそうで、歴史とは良いところも悪いところもきちんと正確に書くべきという教えも含んでいるそうです。歴史の証人たちがいなくなると、歴史修正主義者たちが、いかようにも歴史を編集始めるのだそうです。
何が今修正され、世の中に浸透しているのか。修正される良さと、修正してはならない点の区分けは、証人たちがいなくなった世界ではより厳しくなるのではないでしょうか。
国家という名の怪物が、戦争で今も心の中で戦争を終わらせていない個人という弱き者を摩擦してしまうという危惧が湧きます。

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不思議な家の情景です。三角形の大きな屋根は少しずつ違います。新幹線で神奈川県の平塚市の田園光景の中の丘陵に建てられた住居群です。屋根は三角がシンボルのように天を指しています。強烈な個性です。マンションの四角い塊にもシンボル的に三角の小さな屋根が載る光景も目にします。インディアンテントやキャンプのテントでも三角形は多く見かけます。なぜなのでしょうか。

大正3年 湘南大磯の北本町で、浅草から『玉乗り興行』の一団が興行を開始。小さなサーカスの趣か。

四月四日 [手紙]

昭和6年4月(1931)幸福の手紙現る。宛先人不明大磯局で保留中。
そういえば「幸福の手紙」という世間を騒がした時代があった。今はチェーンメールや、迷惑メール、様々な脅迫メールとなって世界中を騒がしている時代なのだろうか。

桜の季節、久しぶりに蜜蜂を見た。何か足先に花粉をボールのようにつけて健気に花から花へ、飛び回る蜂の姿に、思い出した。十年前に世界中から蜜蜂が失踪し、消えてしまった事件のその後はどうなったのだろうか。欧州やアメリカではある農薬の使用禁止が実行された。我が国ではその使用禁止に伴う経済効果と、蜂と農薬の因果関係が実証できないと、使用は調査しながら継続されたという。2015年の春、蜜蜂や生態系の変化はどうなっているのだろうか。
「ミツバチが消えた世界」このことは忘れてはいけない世界だと思うですが。

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