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1962 [光]

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1962年中学二年生になった冬か秋、我が家の玄関と四畳半の部屋を仕切る障子を、私は見つめていた。西陽がさし赤味を帯びた障子紙と、細い桟に同じく柔らかな夕陽が注いでいた。障子を凝視するのは、いつまで自分の目の前にある光景が記憶出来るのか、其の一点にあった。何故障子紙を選んだのかは今では判らない。数分間凝視しただろうか。眼を閉じ記憶する。そんな光景が今の自分の頭の中に甦って来る不思議さ。此の記憶は私がなくなれば自動的に消えるのだろう。数年前日本の女性が床下にハードディスクを埋め込んだ家を建て、数台のビデオやカメラで、普段生活し見る画像を記録して床下に収納すると言う話を聞いた。今ではクラウドで彼女の画像や映像は収納しておく事が簡単に可能な時代になった。彼女は高速で再生した画像から刺激を受けるものが多々あると云っていた。自分の脳の倉庫が増えた気分なのだろうか。今50年以上前の障子紙の質感の記憶から、其の外の風景が浮かんで来る。逆光気味の樹木の影と、見下ろす校庭の中の人々。
ある夏の夜、1962年とは断定出来ない夜に、見つめた障子の向こうで大きな音がした。祖母が障子を開けると、大きなアオダイショウが玄関の下駄箱の上の置物に悠然と絡み付いていた。
祖母は大急ぎで障子を閉めなおし、仏前の線香立てを降ろし線香の何本かに火をつけ念仏を唱えながら障子を開けアオダイショウのいる下駄箱の下に置いた。夜明けまでアオダイショウは家を出なかった。朝陽と共に優雅な身のこなしで樹々を伝って去っていった彼の姿を思いだす。ある日彼は天井裏のねずみたちを波のような音を立てて追いかけ回した。天井の下の人間は恐怖や不安でいっぱいだった。蛇の寝た晩、一枚の障子があって良かったとおもう。
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好きな画家に筧忠治さんという方がおられる。自画像は眼を見開き顔の血管の総てが浮き上がるような形相が物凄い。彼が見つめる自分という存在は何だったのだろう。彼の描く風景や生物は生き物のような血管が、どこどくと波打っているように感じる。何かいのちあるものの姿を一生懸命描いている。見つめる事が出来れば絵は完成したようなものだ。そんな声が聞こえて来る。R0067975.jpg
影を見つめている自分は 太陽に背中を見られている自分。
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影から、その本体が何か想像する。意外なしょうたいであったりして。
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一点を見つめるとまわりが暈ける 暈けた存在のが正体が判明したりしないか。
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最近はまっている構図。一枚の画面を分割して組み合わせる作業
世界はリンクに満ちているのか。
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不思議とシャッターを切った瞬間の前後は覚えているもんですね。そこがいつ何処だったかも。不思議なものです。
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sig

こんにちは。
クラウド・コンピューティングが進むと、身の回りにはiPadのようなものしかなくなってしまうのでしょうか。それでは心細いような気がします。なんでも身の回りに蓄積することで生きている実感を持っていた自分としては、一番大事なものまで他に預けられない気がするのです。
by sig (2012-02-09 14:37) 

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