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一月二十一日 [アート]

平成二十七年一月二十一日小雨、東京では霙という寒さ。昨日は大寒で雪国の今の季節は大変なご苦労があるだろうと思います。日本では十年後には、五人に1人がボケ老人というニュースを聞いて、ボケにはどうしてなるのかと考えた。呆けてしまえば本人はわからない。呆けた人と付き合うのにはどうしたら良いのだろう。今もボケと闘う人は大勢いる。呑気なことを言っている場合ではないのだが、ボケには何故なるのだろう。赤瀬川原平さんの「老人力」を思い出した。ボケにも幅があり、呆けた人も絶えず呆けているわけではないのだろうが、お付き合いが難しいと思った。
先ずは自分のボケ初めて部分とお付き合いをしなければと思う最近である。昨年台湾から送ってもらった未年の大きな年画。若い人の作品だろうか。何故か元気が出る原色と、おおらかなタッチ。
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明治37年のこの日、大磯駅前岩崎別荘内長屋住人募集!別荘内東側に長屋建設の計画。計画は実行されたのか長屋の住人は幾らくらいで居住できたのだろうか。
昭和3年100余尾の鰤漁、一尾5円50銭で取引。この頃の1円は、一円札は竹内宿禰が描かれ、出版界では円本時代が続いていたという。鰤一尾で円本が5冊買えた時代。市内一円の円タクは50銭銀貨一枚で大抵のところへ行けたという。レストランへ行けばスープとコーヒー付きの円定、1円定食が多かったという。国産初のサントリーウイスキーが4円50銭で翌年の昭和4年春に売り出されたという。
昭和11年大磯乗馬倶楽部、新春遠乗りで70余名参加、花水練馬場を出発。現在の平塚市と大磯町を隔てる花水川の河口付近に練馬場は作られた。後野球場となり、戦時中には畑となったという。
昭和26年吉田茂首相は、大磯より葉山御用邸まで陛下をお見舞いにでかけた。
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k_iga

「円定」というのは昔の小説に出てきますね。
500円玉・ワンコイン定食みたいな、切りのいい感じで流行したんでしょうね。
by k_iga (2015-01-21 14:48) 

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