1975 [人]
ちっこい家
ぼくは
でっかあ~い家より
ちっこ~い家の方が
スキだ
しょうじやガラス
たたみなどに
なんとなく
人間のアイが
人じょうが
こもっている
でっかい家の
こおりのような
つめたさがない……
1975年団地から飛降りて夭折した12歳。
作者の名は、岡真史(まさぶみ)
本棚に「僕は12歳」という題名の本があった。
作者の父上がこの町に在住だと言う事がわかった。
図書館で借りた、「高史明 対談 高橋哲哉 いのちと責任」大月書店で、
「大磯の駅前を通りますとテロップが流れて、『今日は何々線で人身事故がありました。』と、ほとんど毎日のように出ます。その時に見ている「死」というのは向こう側の死ですね。それはしかし、本当の意味の死ではなくて、棺桶に向かい合って教えられる死というのは、死んだ子供の方が私に向かって、死という事を本当の意味で問いかけて来ている。ーーーーそれが、私は人間の悲しみというありようの極限ではないかと思っています。と語っておられる。
1975年昭和50年何か重なる時代だったのだ。
岡真史12歳、高史明43歳、大道寺将司27歳。当時の自分は26歳で赤坂にオープンしたサントリー美術館の「津軽」展で、版画家棟方志功72歳の話を聴いた。岡真史はこの年の7月17日団地から飛降り自殺。9月13日棟方志功没す。
大道寺将司の句、雨の朝捕らられたる五月かな
1975年5月19日
2011年大道寺の句 加害者となる被爆地の凍返る
さまざまの緑かがやき山笑う SILENT
ぼくは
しぬかもしれない
でもぼくはしねない
いやしなないんだ
ぼくだけは
ぜったいにしなない
なぜならば
ぼくは
じぶんじしんだから
岡真史
2012年、この国の自殺者は12年間連続で、毎年3万人を超える人々が自殺に追いやられています。高さんは、「今の日本を3万人以上の人々が日本から、脱走しているんだと思います。テレビでは北朝鮮のことを取り上げて「脱北者が何人だ?」と大騒ぎしているけど、はるかに日本のが脱日本者が多いのでは」と語ります。
内乱で毎年3万人の死者を出す国は、本当に行き場がない思いです。とも。
高さんのお父さんは、日本の敗戦の際「今迄さんざん日本人にやられてきたのと同じ事を、今度日本人にやってどうする、そんなことはまったく意味がない」其の言葉が、高史明さんの、ものを考える時の基礎になったそうです。開高健がアイヒマン裁判の判定を聴きに、1961年イスラエルにでかけたことを思い出しています。
人は生まれながらに罪深い存在と今日もおもいます。
葉桜や面会室の涙跡 棺一基大道寺将司全句集より
2012-04-24 14:48
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コメント(2)
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自殺者三万人、生きたくても生きられなかった大震災被害者、やりきれないですね。
by Silvermac (2012-04-24 21:24)
テレビで地震や経済恐慌も
序章であるといわれると
嫌になりますね
by SILENT (2012-04-27 09:06)