2011 [人]
2011年7月に書かれた舞踏家の田中泯さんの『僕はずっと裸だった』工作舎刊を読み始めた。
「はじまりに 空と雲の動きをながめることから今日も、はじまる。
そこには雲のほか何も無い。雲はどこかふっと消えてゆくこともある。空はないことの親分だ。言葉も、好きな人も、物もそこにはない。でも、僕のこころは、その空にたくさんの言葉や人や音や形を見つけ出す。こころってすごいもんだ。何とも言えない不在感を、子供の頃から空を見て感じていた。地上には常にある、途切れる事なく何かがある。地上には時間がある。記憶がある。未来もある。空には記憶があるのだろうか。何も無い。昨日も明日も一億年もない。みんな僕が空に教えてやったこと。きっと僕は空になる。、、、、、、、この本は僕の舞踏論、オドリです。そのつもりでお願いします。まもなく始まりです。」静かな泯さんの、地に足が着いた烈しい舞踏が、読み始めて聴こえて来る気がします。
冒頭、夢の島で踊る泯さん、圧倒されます。
「夢の島は、百個のクズ屋よりもはるかに広い。果てしなく広いまさに「夢の中の島」そして感覚の海でした。ゴミの連続の中へ蠅の飛び立つゴミの中へ」と続きます。昨年トータス松本のでるコンサートの現在の夢の島は木樹が茂る夢の島公園になっていました。あのコンサート会場の下に多くの人々の欲望が消費したゴミが積み重なって地層を形成しているとは想像だにできませんでした。
「巨視的にも微視的にも、環境は動いている、何もかもが動いている。」
生きているということは、無常なのでしょうか。常は無いということを。
人影が西に歩いていきました。あの影はもう二度と出会わぬ光景なのですね。同じような影を一生に何度も見てきたような気がするのに。
にはたづみの光の粒も今日だけのものでした
この一瞬はいまだけのもの
黄金の光は闇と仲良しですね
鮮やかな葉の装いはいつまで持つのか
黄昏れという文字にも黄金が隠されて
昨日は様々な練金術師に出会いました
2012-11-28 14:08
nice!(41)
コメント(2)
トラックバック(0)
「黄昏」と「錬金術」
「去りしもの」と「生まれ出でしもの」
その黄金の合体と調和が宇宙の真理を指し示すのかも知れませんね。
何かを感じさせてくれるキャプションと写真でした。
by 扶侶夢 (2012-11-28 19:16)
>僕のこころは、その空にたくさんの言葉や人や音や形を見つけ出す。
田中泯は、映画でしか知りませんが、この序文、興味深いです
by cafelamama (2012-11-28 20:24)