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1969 [人]

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1969年の8月舞踏家土方巽と阿部定が正座している写真を見た。背景に「若竹」を意味する暖簾の筒描きがある。土方巽は41歳、阿部定は64歳の時だと言う。土方は「阿部さんの清らかな魂を自分にも宿らせたい」と熱心に写真を撮ることも頼み頼み、実現したのだそうです。場所は、東京台東区竜泉のようです。この時の写真を最後に、阿部定は世間から身を逃れて、生死も不明となったそうです。
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「昭和11年の女」粟津潔・井伊多郎・穂坂久仁雄著の、阿部定年譜から、1905年明治38年神田の畳職人の阿部重吉の末っ子として誕生。
8歳仕立て屋の息子、春ちゃんを好い人に。15歳小間使いに奉公、不良化する。20歳大阪飛田の遊郭へ、信州飯田の三河屋へ、21歳名古屋の徳安樓へ、24歳大阪松島遊郭の都廊へ、25歳丹波篠山の大正楼へ、神戸でカフェの女給、28歳東京三ノ輪へ、昭和11年、31歳のとき吉田屋へ奉公、吉蔵を知り、五月事件を起こす。五月二十日逮捕され、懲役6年の判決。
全国を遊女時代転々としているのですね。
生地の神田多町は、下町で青果市場に近く職人の町ですね。丹波篠山の大正楼も唯一現存していたそうですが、今はどうなったのでしょう。篠山の駅から篠山城下までは随分距離が離れていたのを思い出しました。定が移動した町の繁栄と、人々の姿が何故か浮かんできます。昭和11年2月にはあの有名な2.26事件が起きています。
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1969年私は21歳、何を考え、見ていたのだろう。
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芒の光景は、40年前も、80年前も変わらぬ光景のあるように見えるのが不思議です。
今では近所の銀杏の大木も大方の葉を落としています。
銀杏の樹の下を通るハイカーが、「ある晩一斉に葉を落とす銀杏の樹があるそうだが、是非見てみたいん!!!」と会話しながら私の前を通過していきました。そんな老木の銀杏の話、何処かでも聴いた覚えがあります。
何か神話のような話です。何か魅かれます。
昭和11年当時、人々が「阿部定」という人物に何か人間らしい底なしの共感を覚えたということのように。

絶叫し身ぐるみ脱ぎし大銀杏  SILENT

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モミジバノイロカギリナクフルエケリ 
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タダヒタスラニフルエケリ SILENT
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コメント 1

駅員3

6枚目の背景のススキがボケて輝いている写真がとても素晴らしく、感動しました。
by 駅員3 (2012-12-11 11:21) 

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