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1958 [料理]

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以前ブログで一個の蜜柑の話を書いた。小学校の家庭科の時間、目玉焼きを焼き、何かが足りないと添え物で蜜柑をつけたらというような話が出た
。自分たちの班には生憎と蜜柑がなかった。昭和の30年代は何所の家庭でも、林檎や蜜柑が茶の間の周辺に転がっていた。確か仏壇には常時蜜柑が供えてあった気がする。その蜜柑をとりに授業中抜け出して家まで走って蜜柑をとりに戻った記憶がある。仏壇の蜜柑は小さなものが一個しかなかった。その蜜柑をポケットに入れて走って学校に行った記憶から半世紀が過ぎていることを知る。一個の蜜柑は薄く輪切りにされ班の人数分の皿の上に並んだ。何故か惨めな思いがその輪切りの薄さに今も残っている。
家に帰り目玉焼きはスプーンの水を少し黄身の上にかけると、黄色が鮮やかになると話した。祖母がその言葉を聞いて、男が料理なんぞに手を出すものではない!ときつく叱ったことも惨めさを助長しているのかもしれない。2013年今誰も手を出さなくなったかちかちの皮になった蜜柑が目の前にある。
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正月はウズラの卵を茹で、ハムを巻き、それをフライパンで炒めて孔雀卵なるものを作ってみた。鶉の卵の模様が面白くて眺めてから料理した。
パッケージの小さなプラスティックの部屋も見ていて厭きない。
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昔泥大島を染め抜く時に使ったという、板締め絞り用の板が何枚かある。固い桜の木に細い線を彫り込み、この板に糸を巻き付け何枚も板を重ね、それを絞ったようだ。墨がしみ込んだような縞模様が潔い。割れた板は伐って茶托にしている。和菓子の皿としても趣がある。
古い板も、料理の仕様で息を吹き返す様が面白い。
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我が家のカーテンは、幕だ、それも大漁旗の古いもの、大胆な文字や色が、元気を醸し出してくれる。その脇には躙り口ならぬ、蔵の戸がある。
今年もなにか古いものに命を吹き込みたい。永い眠りについていたものをゆり起こすのは気の毒な気もするのだが。
温故知新 好きな言葉です。
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tree2

>古いものに命を吹き込みたい
ぜひぜひ。実行された様子を、ブログで見せていただきたく。

by tree2 (2013-01-08 19:41) 

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