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明治15年7月第九測面とある、フランス式彩色地図の神奈川県相模國高座郡用田村二万分の一地図を手に入れた。日本で最も美しい地図の一つだと言う。それは地図の周囲に入れられた地図上のモニュメントとなるイラストにあるようだ。
R0087124.jpg地図の彩色も淡く美しいのだが。
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用田村の用田の辻のイラストが右上にある。その上には微かなマル秘印が押されている。この地図は西南戦争で地図の必要性が強く生まれ誕生したらしい。当時はフランス式、ドイツ式等の地図の表現形式が輸入された時代のようだ。参謀本部測量とは陸軍であろうか。先日の用田の絵図面は明治六年作成のものだった。
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このフランス式地図では、用田村周辺の樹木の書き込みが興味を惹く、楢、松、桑、竹等が表示され、楢が最も多い。里山の利用範囲が明確にあらわされているのだろうか。神社や寺も正確に表示されている。
標高差は淡い緑のグラデーションで表示され山と谷の区別が一瞬で判る。
字の境界は点線で描かれこれもかなりの精度が高そうだ。
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町の図書館に重さは5キロもありそうな、「明治前期関東平野地誌」というA3版をひとまわり大きくした地図帳があった。明治13年から19年のものだという。図書館のコピー機の上に二人掛かりでセットして手に入れた一枚が上の画像だ。
図書館に「地図で見る百年前の日本」から神戸の明治18年測量の地図を見て驚いた。和田岬が右下に突き出て砲台とあり、その隣りが石油槽とかかれている。船積みされた石油を荷揚げして貯蔵したのだろう。当時の石油は何に使われたのだろうか。鉄道が引き込まれ三陽鐵道と書かれている。
その西は総て田圃だ。
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田圃の中には溜池が散在するかなり大きな池もあり、六甲山系から流れる水を溜めたのであろう。

長田村とかかれた地域が何故か神戸の震災を思いだしてしまった。この村の歴史にも重いものが秘められているのだろう。
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神戸の町と田圃に石油タンク何故か百年前の世界が非常に親しく感じるのは何故なのだろうか。グーグルマップの現在も見て驚くのはかっての田園が大都会に変貌している事だ。
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秦の始皇帝は命じて、等倍大の地図を作る様に難題を出したそうだ。今の世界は等倍大どころかナノ世界まで入り込んだ巨大な地図を作製しなければ、人間の欲望には答えられないだろう。建築物の世界でも等倍大の部分モデルを今では作るという。地図という世界を視ていて何か心が高ぶるのは、その世界の中で旅ができるからなのだろう。古地図につながる現在から百年後の地図の世界をふと思った。
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山子路爺

イヤァ~、
興味深いものをありがとう御座いました。

by 山子路爺 (2013-01-10 14:08) 

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