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一月十三日 [音]

平成27年1月13日午前8時頃、飼い犬が外で落ち着かない。何か隠れる場所がないか、何ものかに怯えている。その正体が暫く考えてわかった。腹の底迄、ズシンズシンと響く音。真西より少し北側の空から聞こえてくる。地図を拡げその方角にスケールを乗せると、富士山に重なる。この町からは約55キロ。その山の麓に、陸上自衛隊東富士演習場がある。数年前にも書いたが、音の正体は、ここの様だ。
気象条件と、音源となる銃器の種類。地形からみて、此処まで音は届くのだろう。ネットでは50年位前からも聞こえてくるようだ。相模湾周辺の鎌倉、藤沢、小田原あたりの広範囲に音と振動が届いているようだ。富士の噴火とは関係ないようだが、イタリアの火山の爆発を制御しようと火口にミサイルを何機か打ち込もうとした話を思い出した。音が激しくなると、その音源に近ずくと、人間の神経に多大な影響を想像した。生き物総てもそれに反応し、あるものは、麻痺しているのだろう。人間たちも麻痺したものが多いのかと。沖縄の基地の音を想像した。耳が聞く音と、身体が身体で振動を感じること。
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懐かしい紅玉リンゴと、昨年心を惹かれた木工作家さんの胡桃の木の林檎。面取りが丁寧に刻まれて心が落ち着く。小さな仏像を連想した。
昭和十年、初代芸術新潮編集長、菊池重三郎氏34歳、大磯に東京より転居。島崎藤村の弟子、天明愛吉氏は、山王町松並木にあった佐野経師店の店頭に、藤村の「小諸なる古城の」軸を見て、経師屋からその所有者、菊池重三郎氏宅を尋ねた。二人は其の後昭和16年1月14日の夜に島崎藤村を大磯の左義長に招いたという。文豪獅子文六氏も菊池氏に勧められ大磯の地に東京お茶水から転居した。菊池氏夫人の左義長の晩の光景が書かれた紙片を、以前この町の資料館で見た。佐儀長と書かれた文字と、大内館の毛布を頭に被り浜に降りて見物されたという記述を思い出しました。
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