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二月五日 [世界]

二月五日図書館で借りた「時間」堀田善衞著を読んでいる。本は1937年11月の南京を舞台に始まった。主人公の散歩のページで、白想(パイシャン)は散歩を意味する言葉だというが出てきて、なるほど美しい言葉だと主人公同様に思う。この年の7月7日盧溝橋で日軍が戦端を開いていた。12月4日首都防衛は絶望である。南京は、いまや絶望の首都である。The capital of despair........
以下、英語で書くことにする。心を落ち着かせるために、抵抗と熟慮を要する手段を選ぼうとの考えにほかならぬ。Miss. Y.came from Soo-chow
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楊嬢が蘇州からやってきた。蘇州は南京の喉である。十二萬の兵が蘇州常熱の線にいた筈である。そして付近の京滬(南京上海)鐵路沿線には、ベトン製のトーチカ陣地があった筈である。これを建設するのに三年かかった筈である。蘇州城は去月十九日に堕ちた。楊の話で、日軍は蘇州に入場した。日軍の進出は意外に早く、而して連日の降雨のために泥にまみれ、雨合羽を着ていたため蘇州守備の我が軍は、日軍をば撤退してきた友軍と思い、多數の兵が日軍の隊列に入ってともに行進し、城内守備兵も道を開いて迎えいれた・・・・・・・・・・・・・・・・
殺しあう兵士と謂わんよりは、疲れ果てた、悲惨な民衆の演出した、悲劇であろうか、喜劇であろうか、これは?

そしてこれから集団的恐怖の世界が始まっていくのだろう。
作者は何を見て、何を聞き、何を想像したのだろう。
数十年前に作者の著書の、「ゴヤ」の連載を恐れを持って読んだことを思い出している。難解でわかりにくかったが恐怖のページと静謐のページが繰り返されていたことのみ記憶している。
数日前には真夏のような雲を見た。今日は雪模様の日本列島。寒い。
熱き日を真冬の空に銀世界  SILENT
二月五日.jpg
明治三十七年(1904)この日の夕刻、樺山資紀、茶屋町の別荘に入る。現在跡地にはライオンズマンションが建つ。
昭和十五年鰤二千八百尾の大漁。一尾11円の相場。
昭和二十一年二月五日 楢橋渡が李垠殿下より大磯滄浪閣を買収、その後1951年西武鉄道が楢橋渡より買収し、現在は転売され廃墟となっている。

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