二月十日 [いのち]
靖國神社の歴史に向き合う事は、今まで避けてきた。何か軍国主義という重いものの、重圧感から逃れたい意識があった。靖國神社の歴史がペリーの来航以後に始まったと知り、その意外さで気が軽くなつた。神話の世界から繋がると錯覚させられていた。
ここ数年古文書の解読にはまっています。古文書は江戸中期から明治から大正まで幅広い年代ですが、凡そ200年から250年前を解読中、ペルリの来航は幕末、まだ最近に思えてくるのです。人類が生まれてから戦争に明け暮れてきました。でも靖国神社の歴史が幕末からなんて最初は信じられませんでした。神国日本は紀元二千六百年ってこともどこかで聞いたことが記憶の底に残っています。奈良の樫原神宮もそんなに遠くない昔に建造されたと知って三十年前くらいに驚きました。古くからのことが尊いとは言えませんが、ついこの間作られたものを1,000年も前のことからと思っていた自分が不思議で馬鹿に思えてきます。戦争で犠牲になった方は兵士であれ、民間人であれ尊い命を亡くされたことに変わりはありません。靖国神社では病死した方は祀られず、戦死した方を祀るという話、賊軍となった徳川方の戦死者は祀られていないとか。台湾へ旅した時、日本が統治国だった時代、靖国に祀られるか、自分の生まれた民族の聖地に祀られるか悩んだ方も多かったと聞きました。戦争で亡くなった方々の世界で集合された墓地や、寺院はあるのでしょうか。そんな世界の戦闘で亡くなった方々を祀った社が、靖国神社の境内に造られたれ歴史があることを知ったのも最近です。知らないことが多すぎることを実感し何故か悲しくなる最近です。
狗尾草じゃれる獣の目に涙 SILENT
2015-02-10 08:13
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わたしの考えは幼稚な子供のようなものですが、靖国神社にはどうしても
お参りしたくないんです。
by 斗夢 (2015-02-11 17:39)