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七月四日 [物語]

いくつもの岐れ道に出会ってきた。道はその先で繋がっているのもあるが、その先二度と出会えない道もあったのだろう。明日出会う分かれ道もその延長の選択が続く。
私は右の道を行くか 左の道を行くのか 躊躇する
考える 答えは 足だけが知っている
頭で考えるな
岐れ道

分かれ道.jpg
今日は七月四日アメリカという国の独立記念日。40年近く前か横須賀基地の中が一般公開で友人と基地の中に入った。芝生の広場でステージが作られ、流れた曲はホイットニーヒューストンが歌う曲だった。彼女が慰問のために世界にある米軍基地を巡っていたのだろうか。人違いだったのか。当日のイベントのプログラムにヒューストンの名前があがっていたら確かなのだが。
今思えば、映画『地獄の黙示録」の一場面のようなスポットライトに浮かび上がるステージと、近くの海軍病院にはベトナム戦争の傷病兵もベッドの上にいたのかもしれない。海辺では白い帆のヨットに乗った休暇の米兵の白い歯迄も見えた。一番衝撃的だったのが、星条旗が野球の親善試合の前に上がり、星条旗に向かい胸に手を当て掲揚する軍人や市民の姿だった。
目の前にこの光景を見て、何か胸が熱くなった。愛国心が強い自分ではない。何故あの時強く胸が痛くなったのか。今も考える。国旗と国歌と国民とは何か。

昭和9年 大磯平塚花水川河畔に政友村建設 平塚西海岸の小川射山翁の花水庵をめぐり政友大御所連の別荘建設進む。小川平吉、号が射山は鉄道大臣在任中それまで左書きだった駅名標をすべて右書に改め、“国粋大臣”の異名をとったという。現在も平塚市に花水庵の立派な山門は残る。

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