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八月十五日 [世界]

和製ズミクロンと言われている、リケノン50㎜F2.0のレンズを求めた。本家ズミクロンの20分の1の値段である。それもマウント代が半分だからレンズだけの値段は、本家の40分の1の値段。
今朝早速テストをすると硬調のシャープで切れのある写り。今までソフトフォーカスや軟調レンズの世界が好きだったが、世界観が変わりそうなレンズ。発売は1970年代の後半、今から40年近く前のレンズ。金属の重みが手応え十分。

和製ズミクロン.jpg

昔、知人がサイコロの話をしていた。サイコロの表面に1が見える時は裏側は6が基本だという。一天地六というらしい。知人はその賽の目の一の裏側は本当に六なのかと問いかけてきた。最初は何のことかわからなかった。そういう決まりなら六に決まっていると思った。
知人は賽子をひっくり返す時に、裏側はもしかして違う数字なのかもしれないが、ひっくり返されると六になることがあるかもしれないといった。裏側は表と同時に見ることができないので六が無い可能性もある。禅問答のような問いかけだと思った。

鏡を使えば、サイコロの上と下は同時に見ることが可能だ。しかし鏡の中に見えるサイコロは虚像だ。実像のサイコロには違う数字がある可能性もある。見えないものを見るという世界を思った。そして世界とな何なのか。40年以上前の話だ。
数年前、『時間とは何か』考えた。時間とは流れているものでなく、現瞬間という今のみだという説がある。過去は頭の中にあるが、存在する目の前の瞬間だけが信じられる世界だという。人は70年前の世界を頭の中や記録で見るが、それは2015年の今でしかないという現実がある。サイコロの裏表にも、ひっくり返す時間というものがあることに気づいた。
賽を手に持ち裏返す瞬間に世界は変わっているかもしれない。それが時間の正体なのか。

戦後70年という時間を考え、ドイツという国と日本の国民性の違いを何かレンズの思想にも感じた。カメラ好きな人間とは何なのだろうか。

昭和6年(1931)の今日、湘南大磯高来山頂に、鎌倉時代に生きた虎御前の墓か。宮内省技師が実地測量中、甕の中に人骨も発見!専門家鑑定。
昭和8年 照が崎海岸で灯籠流し十年ぶりに復活。

此処彼処(ここかしこ)御霊集いし盆の宵  無音
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sig

サイコロのおはなし、なにか哲学的なところもあり、面白いですね。新しいレンズで、更に創作意欲が増しますね。
by sig (2015-08-15 10:47) 

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