9月16日 [道具]
無地極上
銀座で数年前に個展を開いた陶芸作家の言葉で「無地極上」という言葉を聞いた。
無地は、柄や模様のあるものをも含むのですよと、その作家は言った。
器の無地は、そこに盛られる料理によって、無地であることが故の脇役となって力を発揮するのだろう。然し器は料理が盛られていない時間のが長い。
道具は得てして、機能のためのカタチや、素材から始り、柄や模様や色に関しては最終的で、余計なものともなる。
機能美の存在感あるものは、無地から始まる。素材の素のままの状態や、機能が優先の潔さが迫ってくる。
世の中のものが、普及して売れなくなったり飽きられてくると、無地よりも柄や色で勝負を始める。携帯電話も、カメラも、住宅までも、柄や模様や色を展開している。
無地は、引き立て役であることで他のものの存在感をより強く出す。
無地は素材がなんであるかが重要なファクターになる。
極彩色や柄が濃密に溢れ出すと、遠目では無地になる。
世界を引き加減でみれば、すべては灰色の世界になる。
無地はいろいろな可能性を持っている。
家を建てる時に、外壁は無地の素材のムクの金属仕様にしたいと思った。
素材に色や、柄を載せる前のムクの金属が使いたいと思ってコストを見たら、色をのせたり柄のあるもののが安かった。
需要と供給の関係だそうだ。
無地の茶碗よりも、一本の線が藍色で入ったもののが市場ではよく売れるという。無地の茶碗は極安い大量生産のものか、超著名な作家のものになるという。無地極上、結構奥が深い世界と感じる。
2016-09-16 00:00
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コメント(3)
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「無地極上」という言葉を初めて知りました。
確かに無地であるからその素材、機能美は誤魔化せない。
大量生産の安いものになるか、作家のものになるかも分かります。
また、無地のものによって引き立てられたものも、
誤魔化しが効かないように思います。
by 藍 (2016-09-16 08:47)
藍さま
以下ネットから引用しました
倉敷本染手織会と研究所の創設者であった外村吉之介先生が終生の題目として
教え子たちに諭された言葉がある。
それは「木綿往生」と「無地極上」のふたつである。
実生活の中で己を誇ることなく木綿のようにみなの役に立つ人間になって欲しい、
そして最後は雑巾としてその役割を終える。そしてまた、「無地極上」については陶磁器や
衣服において日常的に使い勝手がよいものほど無地の品が一番である。至言である。
虚飾にあふれ、実質の価値よりも見せかけの付加価値を追う世情の行きつく先は明らかであろう。外村先生に学ぶことはなお多い。
by SILENT (2016-09-17 04:57)
無地極上、なかなか意味深い言葉ですね。
「世の中のものが、普及して売れなくなったり飽きられてくると、無地よりも柄や色で勝負を始める。」、こういう話、大学生の頃は柏木博氏やレーモンド・ローウィ氏の本を読んでましたので、なんとなく覚えています。
by スミッチ (2016-09-20 21:39)