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海の家 建設中 [海]

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大磯に海水浴場が開かれた明治18年夏には鉄道が開通していないので、海水浴客は旅籠屋へ泊まる仕組みで、海水茶屋は海水浴掛として旅籠屋の指揮下にあった。海浜によしず張りの下屋を建て、縁台に緋毛氈を敷き、泳ぎの達者な若者が浮き輪を持って付き添い(付添いの若者は、爺や又はクロンボウと呼ばれ浮き輪は最初はコルク製であった。)休憩時に麦湯を出し、浴後の客には4斗樽に溜めた井戸水をかけて体を洗った。角力茶屋や芝居茶屋からの発想から造られた海水浴茶屋であったから万事卒がなく、至れり尽くせりのサービス振りであった。大磯の今昔(四)鈴木昇著より。海水浴場を開いたのは松本順で、彼は徳川家14代15代将軍の御典医であった。長崎で蘭学を学び、明治政府の山県有朋や伊藤博文に請われ初代軍医総監となった。退官後国民の健康推進のため西洋式海水浴場を大磯に開いた。松本は長崎時代には師匠のポンペと角力をよくとったようだが師匠には勝てなかったようだ。歌舞伎の団十朗は松本の贔屓の役者で、団十郎に舞台で牛乳を飲ませ、一ヶ月後に団十朗の眼が青くならずに、髪も赤毛にはならないと舞台で証明させ、牛乳普及の宣伝をした話は有名だそうだ。黙阿弥に脚本を書かせて新富座で「名大磯湯場対面」を明治23年3月、五代目菊五郎等で興業し海水浴場を宣伝している。そんな流れを汲む海の家が只今建設中。本格的な夏も近い。
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SilverMac

関東には全く縁がありませんが、郷土の政治家吉田茂の終の棲家だけに興味があります。
by SilverMac (2009-06-20 10:39) 

sig

こんにちは。
海の家発祥のエピソード、面白く読ませていただきました。
by sig (2009-06-20 17:32) 

SILENT

SilverMacさん
吉田さんの終の住処 不慮の火災の為消失しましたが
歩かれたり眺められた光景は今も多く残っています
大磯にお越しの際には喜んでご案内いたします。
SILENT
by SILENT (2009-06-20 21:30) 

SILENT

sigさん
ありがとうございます
海の家 海水茶屋 歴史を探ると面白い話が出てきそうです。
温泉浴と海水浴の関係も興味があります。
by SILENT (2009-06-20 21:34) 

SilverMac

竹内綱は宿毛出身で、吉田茂は綱の五男です。岩崎弥太郎は高知の西にある安芸市の出身です。土佐市は高知市から約三十キロ位西、宿毛市は高知県の最西端にあり、可成り離れています。
by SilverMac (2009-06-20 22:42) 

寂光

夏が近付いて来ましたね。
もうしばらくでこの海の家にも人が溢れるのですね。
二枚目と三枚目の写真を見て、
何故だか今日の日曜日は読書の日にしようと思いました。
久し振りに雨が降ったので、
しっとりと、緩やかに、
そして「SILENT」の文章を楽しみたいと思います。
by 寂光 (2009-06-21 07:26) 

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