大磯左義長の賽塔(さいと)に火が入りました [祭]
平成22年1月16日大磯北浜海岸に建てられた9つのサイトに午後七時火が入った。
朝から海岸に立てられた御幣竹の吹き流しが風に流れる塔の前には、各地区の道祖神さんが集合、海に向って奉られています。ヤンナゴッコと呼ばれる厄神を封じ込める「のの字編み」の作業は4−5時間も4人掛かりでかかるそうです。厄神が逃げぬようにと隙間なく緻密に藁縄で編む作業は、漁師さん達の器用さを憶います。網を繕い、ドンザを繕った男衆の技。
早朝7時からサイト作りは行われ9時すぎにはほぼ完成されるようです。9つのサイトが海岸に居並ぶ様は壮観です。
炎が最高潮に達した頃、海に厄神をのせた橇に綱を引き入り込む男達。海から上がり橇の上の厄神は火の中に投じられるしぐさがあり、同時に厄神は男達の脚で壊されます。綱は海方と陸方との綱引きに変わります。その綱を引くと一年が息災であると、左義長の燃えかすを家に持ち帰ると火事よけになるとか、海鳴りの中にそんな会話が聞こえてくるのでした。
昔は11時頃迄行われていたと言う総ての神事は現在では9時頃迄にもとの集落の道祖神さんに帰って行く事で終了するそうです。詳しい事は大磯町のHPでご覧下さい。
輝ける闇に集いし道祖神 SILENT
左義長へどんどどんどと人の浪 さいれんと
2010-01-16 22:16
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コメント(14)
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ご訪問ありがとうございました。
つい先ほどの行事をもう記事にされたんですね。
しかも写真のクオリティもスゴイ。
地域文化の記録資料としても素晴らしいと
感じました。
また寄らせていただきます。
by TADD (2010-01-16 23:20)
炎の勢いは凄いですが、寒いでしょうね…。
地域が仲良くないと、伝統行事も続きませんね。
by chako (2010-01-17 01:28)
昔の人は願い事をするにも自分の体を張ってしたんですね!
by 斗夢 (2010-01-17 06:57)
左義長の炎を今年も見てきました、9つのサイトが炎に包まれている情景は流石です、今年も無病息災のご利益がいただけるかな。
by めもてる (2010-01-17 13:31)
赤々と燃え盛る炎には厳かな感があります、地域の伝統を継承していく姿は非常に素晴らしいです。道祖神が優しく可愛らしいですね。
by fuzzy (2010-01-17 14:22)
迫力に飲み込まれそうです
Niceです
by COLE (2010-01-17 21:52)
写真いいですね。ポスターも自作とは驚きました。素晴らしい。
by ナカムラ (2010-01-18 15:12)
TADDさん
ありがとうございます
お褒めに預かり恐縮です
左義長と言う言葉がこの大磯で使われるようになったのは
長州出身の伊藤博文の側近が、団子焼きといわれていた祭りに、これは左義長神事だと言った事から言われはじめたそうです。
関西では「左義長」が古くから言われていたようですね。
by SILENT (2010-01-19 07:42)
chakoさん
下町の人々の結束と誇りは凄いですよ。
でも高齢化と少子化は町を寂しくしていますね。
かっては下町は漁師町、でも漁師の人は今は壊滅、陸にあがっても精神は受け継いでおられるのが素晴らしいです。
by SILENT (2010-01-19 07:45)
斗夢さん
五臓六腑を理解していた人々の祭りでは
体で表現する事はあたりまえなんでしょうね
頭でっかちの自分が恥ずかしくなりますが
by SILENT (2010-01-19 07:47)
めもてるさん
参加されましたか
今年一年を見守ってくれる様な星空で
左義長も立派に見えましたね
by SILENT (2010-01-19 07:49)
fuzzyさん
ありがとうございます
江戸の享保年間の頃、道祖神がこの地方で一番多く作られたようで享保の飢饉とか、幸せを願う、厳しい時代が生み出した様な祭りの様な気もします。
願いを込めるのは今も一緒の祭りです。
by SILENT (2010-01-19 07:53)
COLEさん
いつか祭りをご覧下さると嬉しいですね。
より迫力を感じていただけますよ。
煙や炎の音や浪の音が味わえます。
by SILENT (2010-01-19 07:55)
ナカムラさん
ありがとうございます
ネットで左義長のHPを作ってもいい程
全国の左義長をとりまく文化が見えてきそうです
by SILENT (2010-01-19 07:57)