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2012 [祭]

R0068625.jpg湘南は大磯という町の下町に、長く続いている夏祭りがあった。「お舟祭り」
下町は鎌倉時代以前からあったであろう漁師の町だ。今は陸にあがったサラリーマンの人々が多いようだが、下町の人々の結束は強い。祭りの起源は「流れ仏信仰」にあるようだ。古代の神々も遠く海の彼方から流れ着いたのだろうか。応神天皇の御代に一人の漁師が、照ヶ崎という海岸の海底が光を発するのを見たという。舟を出し網を投じてみると、大きな蛸に抱かれた千手観音が引き上げられたという。観音は高麗寺に安置され、寺から毎年海を渡って照ヶ崎の海岸まで、戻られる神事となっという。
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数百年の祭りを見おろす神がいた。
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お船は、いつの頃からか陸の道を照ヶ崎迄曳航されるようになった。舟の上では木遣りに似た、様々な音頭が謡われる。ほおかむりの姿も神に対する姿勢のひとつなのだろう。
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漁師は名字帯刀を許され、江戸時代に舟の名は権現丸、明神丸となっていたという。明治になって権現丸と言う名は禁止され、明神丸となったという。木の組み立てられる舟は二艘出る。二艘の明神丸は何故か大陸的だ。京都祇園祭の山車も舟とは言わなかっただろうか。山が正式名称だったか。大磯の舟は遠く高句麗の国から人々を乗せてきた渡来人の姿をも連想させる。漁師町にとって舟とはかけがえのない道具以上のものだし。帯刀をゆるされた一族の背中も見える。
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神輿はかって海に入り、神事は終えたというが、今は海には入らない。輝く神輿が海にならぶ姿は壮観だが、時代と共に神事の内容も変化している事に何か安堵した。祭りの精神は人々の中で生き続けている。かって下町の人々だけの祭りであったろう祭りのしきたりには外からの人々も多く参加している。神輿の群れには、高麗、山王、神明、北下、南下、北本町、南本町、茶屋町、御嶽神社、等の名があった。今朝も昨日迄のお囃子や、神輿の渡御の歓声が耳に残っている。
今年はまだ、蝉の声を聞いていない。

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コメント 3

駅員3

とんび・・・でしょうか?・・・よくここまでよれましたね。
素晴らしい。
登場された方々の背中が、色々語ってますね。
by 駅員3 (2012-07-16 11:30) 

Silvermac

高知市内には御輿を担ぐような祭や盆踊りはありません。山内家が人の集まりを極端に恐れたのが原因のようです。
by Silvermac (2012-07-16 22:26) 

SILENT

駅員3さま
コンデジで300ミリ程で画像が粗いですが、西風の強風でつい10m上空に停止したような鳶でした。彼のまわりは風の渦が流れていくのが見えるようでした。
Silvermacさま
集会禁止のことは、今も昔も同じなのですね。神輿が国会を全国から集まって取り囲むという構図もあっていいですね。
by SILENT (2012-07-17 04:28) 

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