SSブログ

1982 [色]

DSCF0738.jpg1982年昭和57年発行の『一色一生』という染織家志村ふくみさんの、本の中で「かめのぞき」という話がある。『白い甕に水をはってのぞいてみる、その時の水の色をかめのぞきと言うと最近知らされた。』とある、書棚にあってこの章のことは読んでいなかった。自分は2012年の夏の今読んでいる。
『藍甕にさっとつけて染まった色をかめののぞきというくらいにしか思っていなかったが、よく見ればそんな筈はないのだった。』と著者は書く。
DSCF0739.jpg
『藍に一生があるとして、その揺籃期から晩年まで、漸次藍は変貌してゆくが、甕のぞきは最初にちょこっとつけた色ではなくて、その最晩年の色なのである。中略・藍は建てることの他に、守ること、染めることの三つを全うしてはじめて芸と呼ばれるというのだった。』『かすかに藍分は失われてゆくが、日毎に夾雑物を拭い去ってあらわれるかめのぞきの色は、さながら老いた藍の精の如く、朝毎に色は淡く澄むのである。』何と華麗で静寂に満ちた世界を伝える文章なのだろう。
DSCF0700.jpg
長老が言われた言葉に「ながいことほんまのかめのぞきに出会うたことがおへん、難儀な色どす」と著者は言われたことがあったという。
かめのぞきの気品とは、何か人が生きるさまを描いているようでもありはっとした。『朝毎に藍分を吸い上げられた甕はヨタヨタになりながら、老女の髷のような小さな花を咲かせ、よお、まあ染まってくれて」と私は礼をいいたい思いになっている。群青と白群のあわいの色を秘色(ひそく)と、誰が名付けたかそう呼ぶという。謎めいた不思議な色でなく、ひそやかな奥深い色を昔の人はそう名付けたのであろう。』パソコンで見る色には総て素材の優しさや深みがなく、モノが持つ色の力なのだろうが。
R0018600.jpgR0018596.jpgR0017530.jpg
ある朝、白い糸は甕の中から茶褐色の藍液を含んで上がってきたが、絞り上げた糸には何も染まっていなかった。二ヶ月余の間、全精力をふり絞って染まってくれた藍は、その力を使い果たしてある朝忽然と色をなくした。私は思わず、線香を立てたいようだと思った。』と結ぶ。
忽然と消えた色、、、、かめのぞきの色、、、著者は染めるとは、何かを汚すことだという。人が生きるということも何か、藍の一生に似ていると感じる。生き物は世界を汚して存在するのが真の姿なのだろう。忽然と色をなくしたという描写が衝撃的だ。
R0018602.jpg
『浜辺の白砂に溶けいる一瞬の透き通る水のように、それは健やかに生き、老境に在る色である。決して若者の色ではない。風雪を超えて老境に生きる人の美しさをもし松風にたとえるならば、まさにそういう香りの色なのである。』とある。
かめのぞき、白い甕に水をはってみよう。
nice!(26)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 26

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

19991965 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。