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1960 [人]

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1960年私が小学校高学年の頃、我が家は家の一部の六畳間や、四畳半を貸間として家系の足しにしていたようだ。海軍の兵隊に始まり、何組かの新婚夫婦も襖一枚隔てた借間で共に生活をしたことあった。湘南のこの町に来て、海水浴の黄金時代には二階建てを増築して、七八九月の三ヶ月を貸間で活用、自分達家族は物置で暮し一年分の収入を得たという嘘のような話を聞いた。昭和30年代とは全国そんな時代だったのだろうか。覚えているのは神戸から来た十代の人妻と、旦那さんが海上自衛隊の新婚夫妻だ。十代の彼女は神戸のある大きな映画館で懐中電灯で指定席のところ迄案内する仕事をしていて、御主人に知り合ったという。神戸といえば淀川長治さんを思い出した。昔指定席の白いカバーのかかった大劇場の映画館は何か封切り日には、大きな祝祭日のようで憧れを持ったものだ。彼女から聴いた神戸には綺麗な水の布引の滝という名所があるということを聴き驚いた。いつか大人になって新神戸の駅から瀧を尋ねたとき、崖の斜面に放たれたセントバーナード犬の優雅さに、神戸の魅力が増したことがある。
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映画館の思いでは、田舎の映画館の饐えたトイレの匂いと、ぽつんと緑に光る非常口、普段見かけるテレビのコマーシャルが巨大な画面でまるで別の世界のように始まるコマーシャルだった。ニュース映画のあの独特の早口の語りと、しりきれ蜻蛉のように短いニュースの破片だった。
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写真家の杉本博さんが撮った劇場の白いスクリーンの画像の解説を読んだ時は軽いショックを受けた。スクリンの上で名画が上映され、その名画をスクリンとまわりの舞台毎撮影したものだということを知ったとき、何かを思い出した。
息子が自分思っている書棚の本のカバーを全てひっくり返して白い本が並んでいるのを見た時の爽快さと似ていた。白いスクリーンはただの白ではなかったのだ。
様々な物語の白、様々な中身を持った白い背表紙の本達。
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この町には丹沢の山奥から海水を呑みに、アオバトがやって来る。
アオバトは緑の羽根に覆われている。それを待ちうけるカメラを持った人々がいる。
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彼等はカメラが銃でないことを知っていて岩場に海水を呑みに訪れる。多い日には五百を超えるアオバトの群れがあるそうだ。今朝も哀しいアオバトの低い鳴き声が聞こえてきた。一気に海へ出ないで附近の山の木の上から海辺の岩を観察し、海へは十羽前後で訪れる。
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昔日本から多くの資料を持ち帰った、シーボルトコレクションの中にもアオバトの剥製があるという。彼はアオバトの鳴き声迄知っていたのだろうか。アオバトと云う名の由来はアオーーアオウーーーと低くなく聲から来たという説と、緑の羽根がアオバトになったという説があるらしい。
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駅員3

一枚目の緑青々としたもみじの写真が印象的で素敵ですね。
by 駅員3 (2012-07-28 11:50) 

tree2

私が学生時代なので古い話ですが、知り合いのお姉さんが結婚して湘南に住みました(大磯だったか逗子だったか)。借りた家は夏場の2ヶ月だけ家賃が非常に高い。そこで彼女、親戚知人に呼びかけ、「海水浴にいらっしゃい」。臨時の民宿をやって家賃を稼いでいた、というわけ。
by tree2 (2012-07-28 13:51) 

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