1976 [家]
1976年頃だろうか、その年の一月十五日山陰にある陶芸家の家を尋ねた。大雪の年だった。昔は成人の日が一月十五日だった。雪の中を尋ねた家は煉瓦積みの小さな家だった。タングステン電球の温かな光の下で蟹をご馳走になった。その家は陶芸家が手作りで建設中の家だった。赤い煉瓦の家は東京駅のステーションギャラリーを尋ねると思い出す光景だった。煉瓦の家ではないのだが2012年の夏休み湖の畔にある一家の御宅の主の話を聞いて、家とは何か考えた。
その家の主にとって、家とは自分で作るものである事があたりまえだという。敷き地の開墾、基礎ずくリから、様々な素材を駆使する方法、自分で考え、自分で建てる家。彼にとって家造りは、鳥の巣のようなものと一緒だという。鳥は自分で素材を吟味して集め巣を自分の手で作り上げる。最近はポストや巣箱や手頃な器で巣の代用にする鳥も多いようだが、とにかくセルフビルドだ。
家とは買うものではなく家族で作り上げる事。その世界に情熱を注げる人は羨ましい。自然と共に生きる家、自然と家族の生活が一体になった家。この家で出会ったプードルの飼主は、東京のマンション住まいのようだ。都内にはペットの保育所があるという、週に何度か預けて仕事に出かけるという。犬の散歩ビジネスの話は聞いたが、保育所迄あるのだ。
森の中の湖の畔の一家の家。子供達が育ち、山羊がいて畑があり、鳥や獣達も来る。山羊は除草にも役立つそうだ。附近を歩くと栗の実が青い毬をつけたまま落ちていた。
蝉も今、一生を終えようとしているのだろう。
森の中の道は何故か無性に懐かしかった
湖と森と家と
蝶が飛ぶ湖の光景
夜明けの森
湖の畔で大きな百足に出会った 黒い身体に朱の足並みが甲州百足衆の幟のように
霧の箱根を帰路についた
2012-08-21 10:01
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コメント(2)
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望むべくもない生活です。
by Silvermac (2012-08-21 17:22)
こういう家は、住み始めた時から、すでにしっくり馴染むものなんでしょうねえ。
by carotte (2012-08-28 12:44)