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苦海浄土 [花]

苦界とは苦海とは、今何処にあるのだろうか。最近読んでいる本で「群青海」という人間の広がる世界の様という言葉を聞いた。苦海から、風の谷のナウシカに登場する腐海を連想した。二つの言葉には深い繋がりがあるのだろう。海は巨大な水溜まりにしか過ぎない。巨大であって限界がある世界。その海が何ものをも浄化してくれると人間は思っていた。思わなくなった今も何処かで、浄化してくれるものを望んでいる。事は己の心が浄化される事が先なのだろうか。
「苦海浄土」という本が書かれた時代を思い浮かべた。
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著者の石牟道子さんは、東京丸の内のチッソ本社前の一年半にも及ぶ座り込みの最中に見た光景を語る。早朝仔猫が目の前で、路上を掻いている。自分の排泄したモノに本能的に前足で土を被せようとして何度も同じ行為を繰り返す。コンクリートの路上には土が生き埋めになっていた。この大都会では土が総てコンクリートで覆われ、その下に生き埋めになった大地がある。都会はコンクリートの巨大な墓場で巨大なビルは卒塔婆のようだと見えたという。この生き埋めになった大地が息ができる未来が、東京にも欲しいと感じたという。この本には、前近代と近代の対立の書と書かれた批評が多いが、前近代と近代の境は何処にあるのだろうか。その境界線を引く事から深まるものが深くなり、その距離も離れていったのでは無いのだろうか。
前近代も近代も無い。今は今があるだけなのだが。対立の構図からは何かを産み出す力がマイナスになる事を感じる。今苦界浄土は目の前に広がる。
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朝の散歩中に高齢の女性にお会いし言葉を交わした。この海辺の町に生まれてそのまま暮しておられるという。八十年近くをこの町から外に出る事無く暮されているという。その方の話に「近くのマンションには東京から来た高齢の人々が多いが、近場で買い物ができる様な店が無いので、大方東京に帰り始めている高齢者が多いという。都会に戻れば便利な医療や、食の樂しみ、買い物の樂しみができ快適に暮せるという。そういう旦那樣方が増えました。」という話。何度も会話に、東京からの旦那様といった言葉が出る事に驚いた。穏やかな老女の佇まいから「だんな様」という言葉が生きている世界の町なのだということを改めて知った。
そんな東京には無い不便さの環境を求めて新住民が増えてきている。新住民は車で遠くのショッピングセンターやネットで買い物が当たり前の住民達だ。不便さと引き換えに、自然の緑の多さや何も無い文明に触れ、厭きるとまたこの町を出て行くのだろう。かってこの町が鰤漁で賑わい3万本の鰤が一日で獲れたという記憶を持つ人も少なくなっていくのだろう。新住民向けのこじゃれたレストランや、店ができるのは大いに歓迎したいのだが。
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苦界に咲く花をおもい、5年前の夏に咲いた、庭の蓮の花の画像を探してみた。
水俣湾の海と、福島の海はそれほど遠くもなく繋がっている事をおもう。苦海の界とはどこなのだろうか。
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幻想的なるものには、写実以上の大きな力が宿る気がする。
それはいつか神話という世界の誕生でもある要な気がして。
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COPP(コップ)

不意に、自分の魂の飢えの中に広がる苦海を見ることがあります。
それが、自分の生きるテーマだと、捉えることができるようになりました。
人生の秋が来ていずれ冬に入っていこうという時になってです。とほほ。
とほほ。。じゃ済まないんですが。なんとかテコ入れしなければ。
by COPP(コップ) (2013-07-18 22:11) 

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