SSブログ

まぼろしの [物語]

琵琶湖の出現する蜃気楼を朝のニュースで、流れているのをみた。湖が出来てから何千年それ以上の間、蜃気楼現象は出現してきたのだろうが、近代人にとって珍しく見える現象なので、ニュースとなったのだろう。それが毎日何処ででも視られるとしたらニュースにはならないのだろう。
犬が人間を噛む事は多くても、人が犬を噛むという話の、希少価値の展開なのだろう。
そう言う意味で、全聾の作曲家の付加価値と曲との関係はどうだったのだろう。
付加価値の、原爆と全聾であることは、曲其の物の存在以上のものと、ある人々は思っているのだろう。
付加価値という物語で、曲に感動し、曲を買い、関心を持った人々は、裏切られたという。
影の作者が、全盲で全聾であったら感動の物語はより美談へとかわるのだろうか。

こどもが、この件は、「幻想をみんなが求めているからなのだ」と呟いた。
曲の美しさや素晴らしさとは別のものが、おおきな時代のファクターなのか。

数十年前アパレルの仕事をしていた時、ニューヨークの有名ライセンスブランドが消費者から訴えられたとニュースを思いだした。そのブランドは他にない付加価値をいくつか物理的にも技術的にも加えて人気のブランドだった。訴えた消費者は、その作品の原価は、販売価格の1/100で出来るという内容の訴えだった。何故正当な価格で売らないのかと問いつめた。ブランド側の解答が光っていた。
「確かに私共の、ご指摘のあったセーターは何十万もして原価はその1/100である事は認めます。然しその原価には、数億円単位で夢の背景を創りだすコストが計上されています。その夢の物語をお求めになることが好ましいお客様に、ふさわしい価格設定でもあると信じています」と答えたという。
それが宣伝費や、ブランド、信用、社会的なクラスの安定感をも生み出すものなのだろう。
ファッションとは何か、不易流行と情報産業の側面もその時には感じたものでした。

写真.jpg

まぼろしのみやこのはるはいまださき 無音

神奈川県横浜市北部の新興都市に出かけた。かって山林であったであろう所に、駅前を降りて立つと不思議な感覚が過った。五十年程前は林か森が存在していたであろう道路サイドに、ドイツ製の車のディーラーがあった。ドイツではタクシーも此の車が多かった事をふと思いだす。林の中を走る車のイメージが時空を超えて持ち上がる。
写真 2.jpg
テラスにならぶテーブルが何故か不吉な棺桶のイメージで並ぶ光景。
白いテーブルの上で寒い姿の僅かばかりの花が手向けられた花の感覚を連想させる。
不思議な光景だ。サイズが棺桶を連想させるプロポーションなのだろうか。
写真 3.jpg
横浜市民ギャラリーの展示で、多和田有希さんという作品を見た。かなり大きな写真プリントに引っかき傷の様なスクラッチを加えた作品が並んでいる。プリントの用紙が厚みが有り、群衆や都市の光景に紙の内部をえぐりとった様な白い線は、奇妙なゆらめきと迫力で迫ってくる。都会の夜景や群像に光の筋が戯れ、稲妻のように発光する姿は物凄く切なくなってくる。
劇画「アキラ」の終末の世界を別のカメラでとったような光景だった。
キズは引っ掻き、ヤスリかサンダーで回転させ、細かな点から深い傷迄多様にプリントの皮膚を蠢きあっている。
作者は東京芸術大学院先端芸術表現美術科を卒業し、生命工学を学ばれたという。「写真は死体のように見え、その死体であるものに傷を付ける事で、命あるものに、、、」というコメントが印象に残った。確かに写真の傷口から溢れる光や、水の流れの様な光の飛沫の様なものを感じた。
photo2.jpg
作品  発光する都市

まぼろしの音色の下の冬の都市 無音
nice!(38)  コメント(1)  トラックバック(0) 

nice! 38

コメント 1

t-youha

こんばんは。
付加価値といったものを考えるきっかけとして、この記事はとてもいい記事に思います。
by t-youha (2014-02-09 03:53) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

よみびとはくろいゆき ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。