二月十五日 [影]
明治43年(1900)2月15日、大磯大運寺南側にできた大磯座において、始めての活動写真上映。
大磯座は杮落としに、市川久米八が招かれて明治42年7月に開場している。定員300から400人で
二階席もあり、警官の詰め所も備えていたという。座で使われた拍子木が今も東海道に残る老舗の蕎麦屋にあり、
店主の父上も座の共同経営者の一人だったと聞いたことがある。講演会も開かれ自由党の副総裁、中島信行夫人の岸田俊子も壇上に登ったことがあるそうだ。
夕鶴の舞台で有名な山本安英も来場したことがあるそうだ。
大磯駅から徒歩10分ほどの場所に、画家佐伯祐三一家が借家住まいをした家があった。戦前の夏のことだが当時の道を思い浮かべて散歩してみた。駅からの道は、昔は行き止まりであったり大きな家を迂回して路地が通り、畑の畔道のような近道もあったり当時の道がどれだったか想像しながら歩くのもまた楽しいものだ。一軒の大きな別荘だったような空き地や、古屋が壊され、一挙に10戸の家が建つような「一戸十戸」現象はこの町でも加速している。路地が消え、我が物顔で自動車が入り込む風景は好きではないが加速している。佐伯祐三が歩いただろうトタン塀の路地に虹色のフレアーが美しかった。こんな路地だけを歩くミニツアーも楽しそうだ。
限定五人様まで、徒歩一時間の旅ご案内なんぞと。考えてみた。
大磯座は杮落としに、市川久米八が招かれて明治42年7月に開場している。定員300から400人で
二階席もあり、警官の詰め所も備えていたという。座で使われた拍子木が今も東海道に残る老舗の蕎麦屋にあり、
店主の父上も座の共同経営者の一人だったと聞いたことがある。講演会も開かれ自由党の副総裁、中島信行夫人の岸田俊子も壇上に登ったことがあるそうだ。
夕鶴の舞台で有名な山本安英も来場したことがあるそうだ。
大磯駅から徒歩10分ほどの場所に、画家佐伯祐三一家が借家住まいをした家があった。戦前の夏のことだが当時の道を思い浮かべて散歩してみた。駅からの道は、昔は行き止まりであったり大きな家を迂回して路地が通り、畑の畔道のような近道もあったり当時の道がどれだったか想像しながら歩くのもまた楽しいものだ。一軒の大きな別荘だったような空き地や、古屋が壊され、一挙に10戸の家が建つような「一戸十戸」現象はこの町でも加速している。路地が消え、我が物顔で自動車が入り込む風景は好きではないが加速している。佐伯祐三が歩いただろうトタン塀の路地に虹色のフレアーが美しかった。こんな路地だけを歩くミニツアーも楽しそうだ。
限定五人様まで、徒歩一時間の旅ご案内なんぞと。考えてみた。
2015-02-15 16:23
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コメント(4)
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明日(2月17日)は天候がいまいちのようですが
大磯に伺います。
よろしくお願い致します。
by 斗夢 (2015-02-16 08:15)
斗夢様
了解です駅でお待ちしています
SILENT
by SILENT (2015-02-16 10:23)
こんにちは。1900年といえばフランスで映画が誕生してから5年後ですが、2階席もある大劇場とは、当時いかに日本でも活動写真が新しい娯楽として迎えられていたのかが分かりますね。
大磯は場所柄幾多のエピソードがあって、うらやましい限りです。
by sig (2015-02-16 13:34)
sigさま
活動写真誕生から5年後の、タイトルはどんな映画だったのでしようね。弁士もいたのでしようか。
by SILENT (2015-02-20 10:47)