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二月二十二日 [人]

40年程前に、一人で栃木県の益子に出かけた。ここで二人の人物と知り合った。大阪から来たカメラ好きの青年で、師は岩宮武二氏と言っていた。
もう一人は益子の陶芸家で鎌倉から来た陽気な老人。夏の日のにわか雨が私と、陶芸家と、大阪の青年を結びつけた。雨宿りに陶芸家の窯の軒先を借りたことがすべての話のきっかけだった。陶芸家は川端康成と朝比奈峠で連れションをした間柄だという。鎌倉の陶芸家の家と文豪の鎌倉の家が滑川上流で近かったからだという。大阪の青年は歩きながら「念ずれば花は咲く」という言葉を知っているかと尋ねた。私は当時知らなかった。
その日、益子の山の寺にお世話になって一泊することになった。寺の大広間からは遠く真岡の花火が一円玉の大きさで見えては消えた光景を今でも覚えている。大阪の彼は、鳥取の岩井温泉という近くに、食器ばかりを焼く陶芸家の方がいるという話をしてくれた。その話が妙に気になっていて数年後の正月休みに、関東の地から17-8時間をかけて鳥取岩美の駅に降りることになった。大垣行き夜行列車で岐阜羽島から米原あたりだけ新幹線利用、正午過ぎの京都発鳥取行きの鈍行列車で夕刻に山陰線岩美駅に着いた。駅からタクシーで岩井温泉へ、旅館は花屋に泊まった。夕飯にババちゃんの小鍋が出た。中居のおばあちゃんが深海魚でこの辺はよくアンコウのように食べると話してくれた。夕食が済んでゆかむり温泉と言う歴史的な風呂に堪能して入り、旅館街から歩いて数分の陶芸家の家にお邪魔をした。月明かりに山のように積もった積雪の白さはなぜか暖かに見えたことを思い出す。その陶芸家の家で数点の食器を譲っていただいた。藍色のワイングラスは当時の懐かしいもの。藍の深さが日本海の冬の海の深さのように美しい。その青は後に出西窯の出西ブルーと呼ばれていることを知る。その出西で修行し、青年時代に自転車で韓国を巡った話や、岩手県のホームスパンの作家を新婚時代に尋ねられたというような話をお聞きした。当時織物をされていた奥様から、蟹の足を作家の作品の皿に載せていただいた。甘い海の味がした。あれは水かにだったのだろうか。お嬢様が生まれる時、車が雪で使えなくて産院までリヤカーを使ったというような話も思い出す。その後、この岩井温泉や、岩美の地が何か遠いものではない関係ができてくる始まりの晩だった。
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昭和23年2月に開園した、大磯のエリザベスサンダースホームの園長は澤田美喜女史で、夫となった澤田廉造氏は鳥取県岩美の出身、夫の故郷に熊井浜と呼ばれる場所に夫妻の別荘があり、列車で十数時間をかけサンダースホームの子供達を夏には別荘に連れて行かれていた話。岩美の地に澤田夫妻の墓があるということ。
山陰線開通後の昭和2年文豪島崎藤村がこの地を次男と取材旅行で旅したこと。岩井温泉の花屋旅館は作家尾崎翠のゆかりの宿であることなど、さまざまに繋がってくるのです。不思議なことです。

昭和7年大磯の鰤大漁二千尾、仕切り相場下落にて一尾が二円。
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