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三月三日 [人]

家族はどのようにして生まれ、どこへ向かうのか? 人類がアフリカから旅立って180万年、悠久の時間のなかにその起源と進化のストーリーをたどる。日本の霊長類学が追い続けた壮大なテーマに迫る。家族進化論の著者、山極寿一さんという方に興味を持った。

季刊誌「考える人」51号が、『家族ってなんだ?』を特集している。その中で、「人にはなぜ家族が必要なのでしょう」というロングインタビュウが面白い。

やさしさは『時間をかけること』という項目が素敵だ。以下引用、現代の話になりますが、なぜ今、家族もコミニュティも崩壊しつつあるのかという話をしましょう。繰り返しになりますが、家族やコミニュティを支えてきたのは言葉ではなかった。言葉以前のコミニュケーションによるつきあい方だったと思います。そしてそれは、今でも同じなのです。
 人間はサルと同じように視覚優位の世界で生きています。百聞は一見に如かずという言葉があるとおり、どんなにいろいろ聞いたとしても、その現場を見るにまさるものはない。中略 人間関係についてはだんだんと視覚を使うコミニュケーションが減って、逆に、遠距離間のコミニュケーション、相手の顔が見えないコミニュケーションが増えてきた。
もう一つ言えば、視覚、聴覚、臭覚、触覚、味覚の五感のうち、触覚を使ったコミニュケーションは、人間のコミニュケーションの中で
非常に重要だった。会うことによって、握手をしたり抱き合ったり、肩を叩いたり触れ合うことが、何より人間関係を修復するのに役立つものです。中略 今は会うことが省略され、食事なども時間をかけて作らずに、個食で食べる人が増えた。
人は集まって食事をするのが数万年前にできた特色で、ゴリラやチンパンジーは離れて食事をする特性があるそうです。

個食が増えた。それは「サル」に戻る行為だと山極さんはいいます。人間は本来食べるときに集まる。それが個食になっている。集団のために個が奉仕する行為が減って、むしろ個を高めるために集団がある。つまり個人が重要視されるような社会傾向になってきた。

以上の理由は、近代科学技術と民主主義にあると著者は言います。猿の惑星が未来に待っているのでしょうか。
家族とは負の面でなく、その存在が数百万年かけて築き上げた存在であるとき、新しい『家族像』を思い浮かべたくなる今朝でした。

『人間は他者の中に自分を見るようになった。これは人間の持つ、非常に強い共感力の不思議な表れです。』この言葉何か深く感銘する言葉でした。言葉を超えたコミニュケーション能力も深めねばと合掌。
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