三月八日 [本]
今年初めて焼き物の器を、焼いてもらった。
縦に釜傷の割れが、発生したものを漆と金で繕ってみた。ひとすじ金の流れる、器。
1911年大正二年の頃、アメリカのハーパーズバザー誌売り上げを伸ばすとある。今も発刊されていれば、100年以上の歴史だ。50年以上の昔、バザー誌や、ライフ、ボーグという雑誌に触れる時期があった。母が在日米軍の雑誌を日本国内に配布する仕事をしていたからだ。プレイボーイ、ペントハウス、サタデーイブニングポスト、様々な雑誌は表紙の半分がカットされていた。母親の検閲にパスした雑誌が家に持ち込まれた。当時の日本には無かった厚手の光沢紙や、化粧品会社の宣伝の実物のクリームのサンプル等、豊かなアメリカの香りがあつた。自動車会社と、洗剤と、食品会社の見開き聯合広告等、別世界が広がっていた。
中でも好きだったのが、バニシイフエアーという薄っぺらい雑誌だった。中身は覚えていないがシユルなイラストの記憶がある。
縦に釜傷の割れが、発生したものを漆と金で繕ってみた。ひとすじ金の流れる、器。
1911年大正二年の頃、アメリカのハーパーズバザー誌売り上げを伸ばすとある。今も発刊されていれば、100年以上の歴史だ。50年以上の昔、バザー誌や、ライフ、ボーグという雑誌に触れる時期があった。母が在日米軍の雑誌を日本国内に配布する仕事をしていたからだ。プレイボーイ、ペントハウス、サタデーイブニングポスト、様々な雑誌は表紙の半分がカットされていた。母親の検閲にパスした雑誌が家に持ち込まれた。当時の日本には無かった厚手の光沢紙や、化粧品会社の宣伝の実物のクリームのサンプル等、豊かなアメリカの香りがあつた。自動車会社と、洗剤と、食品会社の見開き聯合広告等、別世界が広がっていた。
中でも好きだったのが、バニシイフエアーという薄っぺらい雑誌だった。中身は覚えていないがシユルなイラストの記憶がある。
2015-03-08 09:23
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