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三月十三日 [海]

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昭和2年3月13日 神奈川県の湘南大磯地区の山には三寸、市中は二寸ほどの積雪。山には凡そ9センチ、麓には6センチの春の積雪があったという。
春の雪は水分を含み重くなり、咲いている草木に覆いかぶさることが多い。
平成27年のこの日、田口ランディ著「坐禅ガール」を読んだ。山ガールや、撮り鉄ガールの類の物語かと思ったが、少し重かった。
3点が記憶に残った。

1点目、ネオテミーのような顔の出現、幼生成熟、幼児のままのような形態のまま成熟してしまった生き物。その小さな顔に対して目の占める割合は不自然なほど大きく、すっととおった鼻筋は美しいカーブを描いて割れた花びらのような唇に続き、鰓骨のない球体のような頰、ふっくらした涙袋は見事に左右均等で、愛くるしい子鹿のよう。彼女はリンコという名だという。

2点目、混沌の神の話。中国の面白い逸話で、混沌という神がいたという。混沌には顔がなかったという。他の神様が気の毒がって混沌の神に、顔を彫ってあげた。
そうしたら混沌の神は死んでしまった。混沌はすべての始まり、無分別だから、何かを刻んだ瞬間に、それはもう混沌でなくなってしまうからだそうだ。アニメ「千と千尋の物語」に、「顔なし」という神が出てきたのを思い出す。このヌッペラ坊の顔なしが、好きだ。何か悲しげで、言葉も喋らない。顔なしには能面が似合う感じがなんとなくした。能面も不可思議な顔で、感情が不明だからか。

3点目、アングリマーラという千人の人間を殺してその指で首輪を作った男と、釈迦が出会う場面。日本ではなじみ薄い仏法説話だそうだが妙に気にかかる。
アングリマーラの物語、ネットで検索すると以下、、、、
ある日、舎衛城の郊外の路上において、アングリーマーラはお釈迦様に害心を持って近づき、そしてこう言いました。
「沙門よ停まられよ。」と。お釈迦様は言いました。「わたしは停まっている。そなたも停まったらどうか。」と
アングリーマーラ、「あなたは歩いているのに停まっていると言い、わたしは停まっているのに停まっていないと言う。それはどういう事か。」
お釈迦様、「アングリーマーラよ、わたしは生きとし生けるものに対する害心を捨てて停まっている。しかるにそなたは生きものに対する自制の心がない。それ故にわたしは停まり、そなたは停まっていないと言うのだ。」
このお釈迦様の言葉に、アングリーマーラは痛く心を打ちのめされました。これまで悪逆の限りを尽くしてきたアングリーマーラの心に、良心と悔悟の念が目覚めてきたのです。彼は即座に武器を捨て、お釈迦様に出家を願ったと言うことです。アングリマーラはどのような人間にも潜む存在のように思えてきます。

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斗夢

アングリーマーラの話、心に響きます。
何を以って相手を見ているか・・・気になります。
by 斗夢 (2015-03-14 05:15) 

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