四月三十日 [山]
アオバトの飛来を今年も窓の外を眺めて楽しみにしています。
未だ飛行する彼らの姿を発見していません。
明治42年4月30日 湘南大磯、岩崎男爵の牡丹園の牡丹満開。岩崎男爵邸とは現在、エリザベスサンダースホームとなっている大磯駅前にある旧岩崎弥之助別荘の事でしょう。牡丹園はどこにあったかは敷地が広いのでわかりませんが、別荘のお茶室が「牡丹亭」と呼ばれていたそうで、このお茶室付近にあったかもしれません。お茶室は澤田美喜さんが、子供たちの暖をとるために解体して暖炉の薪に使われたそうです。お茶室の前に並んだ大勢のホームの生徒と美喜さんの写真を観た記憶があります。昭和20年代の集合写真でしょうか。そのお茶室の跡にはブロックを積み上げた家が作られ、隠れキリシタンの遺物が収められたそうです。その建物から現在の、沢田美喜記念館に遺物は移動され今日に至ったというそうです。
澤田美喜記念館の立つエリザベスサンダースホームの森には、丹沢から来たアオバトが羽を休め、眼下の海岸で海水を飲んで、丹沢の営巣地まで帰る謎の行為が、5月から10月まで繰り返されるそうです。彼らが飛来した証拠は、樹々の奥からの低いアオーアオーという鳴き声でわかります。この物悲しい鳴き声は一度聞いたら忘れられない響きです。
未だ飛行する彼らの姿を発見していません。
明治42年4月30日 湘南大磯、岩崎男爵の牡丹園の牡丹満開。岩崎男爵邸とは現在、エリザベスサンダースホームとなっている大磯駅前にある旧岩崎弥之助別荘の事でしょう。牡丹園はどこにあったかは敷地が広いのでわかりませんが、別荘のお茶室が「牡丹亭」と呼ばれていたそうで、このお茶室付近にあったかもしれません。お茶室は澤田美喜さんが、子供たちの暖をとるために解体して暖炉の薪に使われたそうです。お茶室の前に並んだ大勢のホームの生徒と美喜さんの写真を観た記憶があります。昭和20年代の集合写真でしょうか。そのお茶室の跡にはブロックを積み上げた家が作られ、隠れキリシタンの遺物が収められたそうです。その建物から現在の、沢田美喜記念館に遺物は移動され今日に至ったというそうです。
澤田美喜記念館の立つエリザベスサンダースホームの森には、丹沢から来たアオバトが羽を休め、眼下の海岸で海水を飲んで、丹沢の営巣地まで帰る謎の行為が、5月から10月まで繰り返されるそうです。彼らが飛来した証拠は、樹々の奥からの低いアオーアオーという鳴き声でわかります。この物悲しい鳴き声は一度聞いたら忘れられない響きです。
2015-04-30 10:47
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