6月04日 [写真]
1966年撮影のコダックリバーサルフィルムによるスライドが出てきた。今から50年前の撮影、自分が十代の後半に差し掛かった頃の撮影だ。当時はフィルムも現像代も高かった。スライドで映し出すプロジェクターを買った。カメラもプロジェクターもオリンパス製。ハーフサイズカメラの秀逸なデザインと機能のオリンパスペンFだった。フィルムは憧れのKodakのASA25コダクローム。50年経っても濃くのあるあのカラーが鮮明に残っているのには驚く。埃があるがカビはない。
撮影箇所は横須賀の港と、日本帝国海軍将校クラブが、米軍のEM倶楽部となって数々のジャズシンガーやバンドたちがステージで共演もした。今はないがその建物の窓は懐かしい。
写真家、石内都さんの名作写真集にもこの窓の内側から撮影したショットがある。同じ窓の形を横浜山手の洋館に見たときは懐かしいものを感じた。
50年前の横須賀の海と米軍基地、ガントリークレーンのある巨大なドックも当時は存在したのではなかったか。青い深い海が原潜や空母の放射能で汚染されないことを願う。ここ横須賀も基地の町のままなのだ。中学時代にこの街で過ごした。同級生に沖縄から来た男性がいた、彼からパーカーの万年筆をあげると言われたがなぜか断った。母と子で沖縄から横須賀へやってきたという話だった。
半世紀老婆となりしモデルの夏 無音
コダックは世界中同じ誦みの夏 ムオン
愛犬の半世紀前の夏色褪せず むおん
撮影箇所は横須賀の港と、日本帝国海軍将校クラブが、米軍のEM倶楽部となって数々のジャズシンガーやバンドたちがステージで共演もした。今はないがその建物の窓は懐かしい。
写真家、石内都さんの名作写真集にもこの窓の内側から撮影したショットがある。同じ窓の形を横浜山手の洋館に見たときは懐かしいものを感じた。
50年前の横須賀の海と米軍基地、ガントリークレーンのある巨大なドックも当時は存在したのではなかったか。青い深い海が原潜や空母の放射能で汚染されないことを願う。ここ横須賀も基地の町のままなのだ。中学時代にこの街で過ごした。同級生に沖縄から来た男性がいた、彼からパーカーの万年筆をあげると言われたがなぜか断った。母と子で沖縄から横須賀へやってきたという話だった。
半世紀老婆となりしモデルの夏 無音
コダックは世界中同じ誦みの夏 ムオン
愛犬の半世紀前の夏色褪せず むおん
2016-06-04 00:00
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コメント(6)
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素晴らしい財産をお持ちですね
話しには聴いていましたが、リバーサルフィルムは本当に色褪せないのですね
デジカメを使うようになって、写真を大切に扱わなくなってしまった私です。
反省
by 粋田化石 (2016-06-04 18:52)
半世紀、50年ですか・・・
一日一日を悔いを残さずしっかり過ごさねばと思いました。
沖縄からの同級生のお話しが、スライドの色彩以上に鮮明に感じられて印象的でした。万年筆の件の "なぜか" にSILENTさんの今の思いが込められているような気がしました。
半世紀老婆となりしモデルの夏・・・
時の流れって残酷ですよね・・・やっぱり一日一日しっかり生きよ
by b.b.mk2 (2016-06-05 03:07)
万年筆のお話。
今考えると似た体験が確かにあります。今でもなお。
思い出した時にその理由をいくら探しても、それは嘘なんですよね。
お相手の気持ちを考えるとどうだったのかな、なんて思っても、
その時が何よりも真実で、それ以上もそれ以下でもない。
人間の感情と行動のズレは、本当に不思議なもので、
だからこそ可愛い存在なのかも知れません。
by はらぼー (2016-06-05 11:31)
粋田化石さま
デジカメの進化は凄いですね。スマホでも簡単に写せて、何枚も気にせず撮れるから、大事に思わなくなって当然ですね。
空気を吸うように、何枚もデジカメだと記録してしまいます。
フイルムカメラは、何故か何枚も撮る気には、なりません。
空気の有り難味も感じます。
by SILENT (2016-06-05 17:00)
b.b.mk2さま
何故かのわけ、何だったのかなと、今も定かに思い出せませんが、高価な万年筆よりも、生きたムカデが欲しい、と彼に注文しました。何故そんな事をと、今でも思います。横須賀は地形的に崖が多く沢山の防空壕がありました。其処にいる大きなムカデを瓶に詰めて彼は持って来てくれました。元気のいいムカデを裏庭で、ムカデのレースで一直線に走る速さを見たいと、瓶から放ちました。
あっと言う間にムカデは縁の下に逃げ込みました。彼も自分もムカデに噛まれなかった事が幸運でした。パーカーの万年筆を受け取る事は彼との友情が壊れる気がしたのと、母子で暮らす沖縄から来た彼に何か未知なる世界を感じたからです。拒否された彼は折角の友情の気持ちを傷つけられたと感じたかも知れません。
by SILENT (2016-06-05 17:43)
はらぼーさま
沖縄からきた彼との出会いは、16歳の頃でした。その後20歳を過ぎた頃、彼が彼女らしき人と仲良く歩いてくる姿とすれ違いました。大人びた彼はこちらには気がつかず通り過ぎました。
それが彼と出会った最後でした。
50年前、中学校の教室で仲良しだった三人組の一人が沖縄からきたメリーさんというアダ名の少年です。羊の様におとなしい子だったからかも知れません。一人は大仏さんの頭髪のような合いの子タイプの少年です。彼が描く零戦は絶品でした。基地の町という自然な組み合わせの三人でした。
by SILENT (2016-06-05 17:55)