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目ひとつ小僧と 一番息子 [祭]

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左義長が12月8日に始まると昨日書いたが、この日を八日節句ともいうそうで、このとき現れる、目ひとつ小僧が気になっている。民俗学者の柳田国男は目ひとつ小僧を、鉄の生産の際
火を見続ける為に片目となってしまったものが神になったとかの話がある。あめのまひとつのかみ(天目一箇神)。単眼症といいビタミンAの欠乏した母体から生まれる赤子が、目ひとつ小僧の元ともいう。ビタミンAの不足では鳥目とかの症状が有名でビタミンAは視覚に関係の深いもののようだ。目ひとつ小僧では主観的に、第三の目と言われる、額の目を想像してしまう。日本のある視聴覚関連企業が、長年に渡って、子供達の超能力を研究していた話を想いだす。目隠しをして第三の目又は手のひらで、色を見分けたり絵を認識する。話がそれたが子供達の潜在能力には神秘的で不思議なものがある。道祖神の祭りは子供達を社会へ導く教育の場であり、一年の豊作豊漁を願う節目の祭りであったのであろう。目ひとつ小僧は、集落の人々の暮らしの仕方をチェックして疫病神に報告する。日本の神々は大勢で役割分担が多いのか。

対する目ひとつ小僧対策に カゴが登場するのが面白い。目が多く、神を驚かすからと言う。
イワシも臭いからと家の前に、何やら2月の節分でも鬼に対して同様の事をしている。
一番息子は、労働の担い手としての子供達を沢山授かるように願った為の行事らしい。明治の日本では漁村部には女の子の出生率が高く、山間部では男子の出生率が高かったという話を聴いた事を思い出したが、下町の住宅密度は高く子沢山の家は当たり前であったろう。

道祖神は子供の神様だが、現代の子供達に取っての神様とは何なのだろう。

左義長と七夕と子供達 [祭]

夜の左義長.jpgサイト.jpg左義長.jpg左義長クライマックス.jpg
時期は過ぎていますが、この町の下町に伝わる左義長という祭りは1月の14日の夜に行われる。全国どんと焼き他様々な名で呼ばれる、正月のお飾りを焼く祭りにはいろいろ深い歴史があった。祭りの始まりは12月8日にあると云う。事八日、事始めといい、この日から古くは2月8日迄の事納め迄をさしたと云う。話はややこしくて12月8日を事おさめ、2月を事始めと呼ぶ全国の地方もあるそうだ。日本の伝統的祭りは1月から5月迄で大半が終わってしまうほど集中していると言う。多彩な行事が目白押しなのだ。主観であるが左義長神事と、七夕と言う二つの行事が
冬と夏とを対照的に見た、子供達の祭りとして興味がある。七夕は西小磯地域に残る行事である。左義長に戻って12月8日子供達は道祖神さんの前で口火を切り、ゴロ石と言う五輪の塔の上部のような、石のアレーのようなものにロープがついたものを引きずり集落の家を廻る。
家々で願いを聞き、こどもが願いがくるようにと囃子て、後、一番息子、二番息子、三番息子と子供の数だけ大地に石を振り下ろす。子供が多い時は十番息子迄参加したそうだ。この行事は、一番息子と呼ばれ男の子だけが参加する。触れ太鼓も参加し、家々を回る。子供達はおひねりを戴き、お礼に豆腐が配られる。豆腐はまめに暮らせると話。この日、目ひとつ小僧と言う神様がやってきて集落の人々の一年間の行いをチェックすると言う。チェックをした帳面を
夜が開ける前にあわてて仲のよい道祖神さんに預けて帰ってしまうと言う。預けた帳面を取りにくる日が来年1月15日なので、その帳面を見て驚いた道祖神さんが14日に自分の家もろとも火を付けて燃してしまうというのが左義長のあらましだ。道祖神さん自身も火にくべられる地域もあるのを聞いた。面白いのが左義長の際行われる海方と陸方で行われる綱引きだ。14日あたりは満月で、九州では中秋の名月辺りに行われる綱引きも有名のようだ。海での収穫祈願と陸での豊作を願って行われたと言う。韓国でも似たような綱引きの行事があったようで興味深い。綱は稲作のわらの文化とも繋がっているのだろう。左義長は古くは団子焼き、セイト払いと呼ばれたようで、漁師町の下町で江戸の享保年間辺りから盛んであったようだ。7カ所の集落のサイトと呼ばれる砂浜に築かれ見事な眺めだ。火は対岸の大島からも見えると言う。

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