昭和のエートス [本]
内田樹著の 昭和のエートス を読んでいます。
昭和人とは 明治人がそうであったように 昭和をつくった明治、大正生まれの人々とあり、
明治は 主に天保生まれの人々の明治人が創ったとあります。戦後生まれの自分の世代は平成人ということになるのでしょうか。今の時代の中で、貧困と貧乏について書かれた文章が興味深かったので以下引用します。
最初に用語の定義を済ませておこう。
貧困は経済問題であるが、貧乏は心理問題である。
意味の問題と言う事も出来るし 関係の問題という事も出来る。
とりあえず数字で扱える問題とは次元が違う。
日本では大雑把に世帯の年間所得が200万以下だと貧困に区別される。
だが年収2万ドル弱というのは、世界的に言うと、かなりリッチな水準である。
日給240円のニカラグアの小作農は年収8万7千円である。絶望的な貧困と申し上げてよろしいであろう。中略 日本では出口の無い貧困でなく 貧乏が問題になっている。
屋根のある家に住み、定職を持ち 教育機会や授産機会が提供されており その上に相対的に金が少ないという状態は 貧困とはいわれない。あちらにはベンツに乗っている人がいるけど、うちは軽四である。あちらはハワイに行くが こちらは豊島園にしか行けない。とりあえず同じカテゴリーで比較した時に 劣位にあることから心理的な苦しみを受けることを 貧乏というのである。近代以前には貧乏は存在しなかった。農民が大司教の衣装と自分の衣装を比較して恥じ入るとか、猟師が王侯貴族のような城館に住んでいなくて苦しむという事は無かった。貧乏は生まれながらにして自由かつ平等の権利を有する と 宣言した 人権宣言によって初めて公式登録された。中略 敗戦後の日本は大変貧しかったが、人々の顔は総じて明るかった。それは日本人全員が同程度に貧しかったからである。その後日本は貧困から脱して豊かになったけれど 貧乏人はむしろ増えた。豊かさに差が生じたからである。中略 私は貧乏と苦しむ事は人間をあまり幸福にしない。出来ればこれだけ所有していれば幸福と 苦しむのをやめる人は大変少ない。
方丈の草庵を結び、庭の野菜をかじり、友と数合の酒を楽しむだけの生活が続けば、日本経済はたちまち火の消えたようにしぼみ中進国レベルに格下げされてしまう。
自分はいったい何を食べたい、何をしたい、どのように話しかけられたいのか、具体的な問いをひとつひとつ立てられる人は、求めるものの欠如を嘆く事があっても、貧乏に苦しむ事は無い。日本社会はそのような開発のためにほとんどリソースを投じてこなかった。
経済成長の鈍化をたすけるようなことは行政もメディアも真剣には係わらない。
我々は貧乏くらい我慢するしかあるまい。現に貧乏なんだし。
2009-06-25 13:44
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コメント(4)
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こんばんは。
「敗戦後の日本は大変貧しかったが、人々の顔は総じて明るかった。それは日本人全員が同程度に貧しかったからである。」全く同感ですね。
そして、戦後の日本の基盤を築いたのは戦前・戦中の人たちだと思うし、現在のレベルに高めたのはその次の世代だと自負してもいいのではないでしょうか。我田引水かな。W
飢餓はなくなり、暖衣飽食が当たり前になった反面、「貧乏」と精神的飢餓感は深まりましたが・・・それは私たち「世代」の罪なのかなー
by sig (2009-06-26 00:25)
sigさん
貧困という最中にあった日本では 無我夢中で貧困から抜け出す事を考えていた。貧乏人は麦を食え と いった時代もありました。欧米諸国の先進国を追い抜く事 追い抜かれぬ事に 切磋琢磨し 豊かさとは何か 忘れました。
貧乏と精神的飢餓感 楽しめ 悩める 人でありたいと思います
by SILENT (2009-06-26 07:38)
明治、大正の人が昭和人というのはなるほどと、膝を叩いてしまいました(^-^)
by 駅員3 (2009-06-27 17:54)
駅員3さん
ありがとうございます
お互い昭和生まれと存じますが
平成人として仲良くお話し出来ることが嬉しいです
by SILENT (2009-06-27 21:55)