大正時代初期の大磯駅 [写真]
大正時代初期の大磯駅、山の麓に招仙閣という大磯で二番目に大きな旅館は、伊藤博文が大磯に別荘を作る際拠点としてこの旅館から指示を出したと言う。福沢諭吉もこの旅館に滞在し大磯の町の海水浴を開いた松本順を、町の人々は忘れてはならないと言う警告の文章をここで書いた。
横浜富貴楼のお倉もこの旅館で亡くなっている。山の中腹に大きな招仙閣という立て看板も建てられていた。下は現在の大磯駅、燕たちも第二の子育て実践中。
暑中見舞いの画像が一部表示出来ない方がおられるようです。タイトルは入りませんが駅前のラボで選べるアオバトのプリント参考写真です。この画像を暑中見舞いで使いました。
2009-07-15 15:27
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コメント(7)
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アオバトこんなにきれいなんですねー!
by めもてる (2009-07-15 18:52)
めもてるさん
是非照が崎海岸でアオバト見て下さい。
午前中なら必ず見られますよ!
by SILENT (2009-07-15 20:39)
え、このアオバトが普通に見られるんですか?
それは貴重な情報です。
また、大磯に行かなければならない理由が一つ増えました(^^)
by 駅員3 (2009-07-16 09:00)
大磯は、あまり俗化されていないようですね。
by SilverMac (2009-07-16 09:58)
駅員3さん
小樽よりは大磯は近いですよー
朝早い時間のがアオバト達は多く
飛来しています
一群2−30羽が固まってきます。
by SILENT (2009-07-16 10:34)
SilverMacさん
俗化が遅いのはいい事だと思うのですが!
時間がゆっくり流れて行きます
by SILENT (2009-07-16 10:35)
こんばんは。
こんなにきれいなハトは見たことがありません。
by sig (2009-07-16 23:40)