SSブログ

李朝の風 [物語]

R0030500.jpg
平成17年2005年の今日、東京赤坂プリンスホテルの客室で、李王家末裔の李玖氏が死去。
李方子王妃の次男にあたる。李方子王妃とは梨本宮守正の王女で、大磯の旧吉田茂邸の隣に梨本宮の別荘があった。この別荘で夏のある日 朝刊に李朝最後の皇太子李垠殿下との御成婚の記事があるのを知り驚いた話は有名である。この町に別荘を構えた睦奥宗光が蹇蹇録に外交の記録を残す中にも彼の国との歴史の深みを生々しく思う。伊藤博文が皇太子李垠を留学の名目で10歳の時に日本に連れ帰っている。この町でも提灯行列で皇太子を出迎え、博文亡き後、大磯の伊藤邸を李垠殿下に譲っている。町の人々はリギンさんと親しんで呼んだと言う。
赤坂プリンスには明治政府から用意された旧李垠邸が今も残っている。
そこで亡くなられた次男の李玖氏の生涯にも想いが馳せる。戦後韓国に渡り彼の地で、福祉の母と慕われた 李方子女史。大磯の地で孤児達の母となった澤田美喜さん。二人は1901年同年の生まれ。
Momohatozu.jpg
桃鳩図は、宋の皇帝徽宗の筆になる画で、院体画の傑作の一つ。日本の国宝。徽宗26歳のときの作、と伝えられる。これが正しければ、1108年または1109年に描かれたことになる。徽宗の真筆と認定されている極めて少ないものの一つで、非常に貴重である。徽宗の真筆とされる画ではこれが唯一、とも言われる。絵画などの収集家としても知られた明治の元老、井上馨によって日本にもたらされ、現在でも日本にある(個人蔵)。足利将軍の足利御物であった時代もあるように記憶するが違うのか?アオバトにも種類が多いようだがその仲間のようですね。
R0030506.jpg
nice!(18)  コメント(2)  トラックバック(0) 

nice! 18

コメント 2

駅員3

隠れた近代史をかいま見させていただきました。
by 駅員3 (2009-07-17 15:38) 

SILENT

駅員3さん
光りと影
光ばかりが総てとは世の中
思いませんのです

by SILENT (2009-07-19 14:00) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

大正時代初期の大磯駅祷龍館への道 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。