西行と鎌倉 [物語]
平清盛と西行法師は同年の生まれだそうだ。今から800年以上の昔、西行は若くして出家し、清盛は平家の頭領として憂き世の頂点を極めた。清盛の子重盛が東大寺を焼き討ちし、その寺の再建のための砂金灌頂に西行は奥州平泉に向うことになった。歴史の綾であろうが、この際、西行は鎌倉で頼朝と会う。吾妻鏡では二人が意志を持って出会ったのか偶然であったのかは定かではないが、当時70代の西行と40代の鎌倉幕府創設時分の若き頼朝は、何を語り合ったのか。武道の事、歌の事、義経嘆願の話も出たやも知れぬ。翌朝銀の猫を拝領した西行は、惜しげも無く、それを道端で遊ぶ鎌倉の子供達のひとりに与えて奥州に向って立ち去ったと言う。神奈川県大磯町の鴫立庵に銀猫碑といわれるこの事を記した石碑が建つ。西行が都から平泉迄辿った道は不明であるが、書き残されたものから今にも伝わる憶いは凄い。
形が残らずとも想いが残る事の不思議さを思う朝です。
年月をいかで我身におくりけん
昨日の人も今日は亡き世に 西行 晩年に
愛ほしやさらに心の幼びて
魂切れらるる恋もするかな 西行 若き日に
2009-07-20 06:07
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コメント(11)
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西行法師の晩年に詠んだ歌、その通りですね。
by SilverMac (2009-07-20 06:18)
>魂切れらるる恋
凄まじい恋情ですね。
by アヨアン・イゴカー (2009-07-20 07:50)
西行と頼朝……古への想いはつきません。
by 漢 (2009-07-20 11:44)
西行の歌はいいですね。私のような非風流人にも・・・あわれは知られけりです。
by ナカムラ (2009-07-20 12:21)
SilverMacさん
西行が望んだ人生とは何だったんでしょうね?
ただいま 利休にたずねよ を読んでいます。
by SILENT (2009-07-20 20:06)
アヨアン・イゴカーさん
魂の震え晩年迄持ち続けた人だったんでしょうね。
震える魂が歌を必要としたのでしょうか。
by SILENT (2009-07-20 20:08)
漢さん
西行が憶いをよせた女性
頼朝が憶いをよせた女性
今の世でもなぜか想いうかべられる光景ですね!
by SILENT (2009-07-20 20:11)
アヨアン・イゴカーさん
あはれ と あっぱれ が 同じルーツと松岡正剛さんの本から知りました。とても好きな言葉です。
by SILENT (2009-07-20 20:13)
西行が都から平泉まで旅をしたなんて歳を聞いてビックリしました。
当時の70歳といえば、かなりの高齢。
あちこちに西行の足跡があることから、海路で向かったとは思えず、信念に裏打ちされた行動力だからこそ今に残る思いがあるのでしょうね
by 駅員3 (2009-07-20 21:02)
駅員3さん
西行の精神力と体力は凄いものですね。当時長旅をする人間は限られ途中の行程も粗末なものだったんでしょうね。若い時も奥州へは旅に出ているようで、西行の情報力は当時ではかなり高いものが想像出来ますね。
by SILENT (2009-07-21 07:53)
辻邦生の「西行花伝」でも、二人の関係は語られていますが、
ずっと思っていた清盛像とはちょっと違うものでした。
小説とはいえ、やはり歴史には複数の視点が必要ですね。
by e-g-g (2009-07-22 19:12)