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伊奈のメンデルソン夫人 [物語]

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先日メンデルソン夫人のことを書いた。獅子文六著の「アンデルさんの記」では大磯の町に引っ越ししてきた文六氏が散歩の途中でメンデルソン夫人に会い、彼女から彼女の生涯を聞き出すきっかけになったのが、エリザベスサンダースホームを尋ねて夫人に再会してからの事という。メンデルソン夫人は母親が信州は伊那赤穂村の名主をつとめた家柄に生まれたという。父親は日本で最初に新橋横浜間を走った蒸気機関車の運転助手ダンカン・グレーでスコットランドの名門マグドナルド家の出身という。二人は日本で最初の国際結婚を正式に上げたカップルで、それは明治4年の頃の事だと言う。その後数年してメンデルソン夫人は生まれた。文六さんの著では、セシール・ダンカンとなっている。南米に出張中のダンカン氏は彼の地で風土病のため急死する。享年30歳だったという。残された母子は、伊奈の赤穂村に帰る。
メンデルソン夫人の4歳の頃の事だ。明治12年頃の伊那迄は数十時間を要したであろう。
伊奈の赤穂の人々は異人の子を見るのは初めてで驚愕を持って接したという。メンデルソン夫人の生涯で混血児である自分と、日本の美しい光景が鮮明に焼き付かれた時期だったと言う。
そんな彼女を励まし逞しく育てたのが、東京から一緒に伊那に同行したイネという女中だったそうだ。彼女は強く生きる事と、日本人の誇りを持つ事をとき、無学ながらに一生懸命接してくれたという。
伊那の赤穂という村で 思いだすことがあった 放浪俳人の井月が、この頃伊那を放浪し各地を転々と歩いていた。もしや明治24年頃迄伊那にいたメンデルソン夫人が幼き日に、井月を見かけ、その噂を聞いている可能性は高い。腰にひょうたんをぶら下げた乞食俳人と、混血児の青い目の女の子。出会い頭に逢った二人の目には何が見えたのであろうと想像は飛躍した。
メンデルソン夫人は明治24年17歳迄伊那にいて東京に戻った。翌年療養のため大磯の祷龍館で1年の療養生活をすることになる。俳人井月は明治20年2月に伊那で亡くなっています。
伊那にも近代化の波が押し寄せ、怒濤のごときその波が、井月を野たれ死にさせる様な世の中へと変貌させたというような話も最近聞きました。メンデルソン夫人の話は祷龍館の件から続きます。
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画像は伊奈の紅葉ではありませんが先日出かけた 相模の国飯山観音での2010年11月の画像です。今年は猛暑のため桜の葉の紅葉に赤がことのほか美しいとか。逆光での紅葉は屏風絵のようでした。
うらを見せおもてを見せて散る紅葉 良寛
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chako

見事な紅葉ですね。
歴史秘話・ヒストリアに出て来そうな話ですね。
SILENTさんのブログ、画像が大きくなってますます素敵になりましたね。
明日は、阿蘇の小さな小学校へ体験教室での作品を届けに行きます。紅葉を見るチャンスです^^
by chako (2010-11-25 10:04) 

大善士

SILENT さん こんにちは^^
好美的红叶啊~ とても美しい紅葉~
京都岚山的红叶很有名 京都の嵐山の紅葉はとても有名です
by 大善士 (2010-11-25 10:07) 

駅員3

素敵な紅葉ですね。
世の中にはまだまだ知らないことが沢山ありますね。
素晴らしいお話し、大変参考になりました[ぴかぴか(新しい)]
by 駅員3 (2010-11-25 13:35) 

吉之輔

こんにちは、私の知らないお話有難う。
それに、見事なモミジに目を奪われました。
ご訪問ナイス有難う、此れからも宜しくね。
by 吉之輔 (2010-11-26 10:49) 

寂光

見事に織りなす紅葉、
見事に織りなす写真、
見事に織りなす文章と写真と俳句。
何もかも見事に織りなす記事です。
by 寂光 (2010-12-09 20:57) 

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