SSブログ

1776 [物語]

R0077036.jpg
1776年のこの年、この国は独立宣言をし、今使われているこの国の名称が決まったという。我が国『日本』が何時頃から使われたか、辞書で調べてみた。広辞苑電子辞書では、中国と修交した大化改新頃、東方すなわち日の本の意から「日本」と書いて「やまと」とよみ、奈良時代以降、ニホン、ニッポンと音読するようになった。とある。国語辞典では、オオヤマトと古くは言った大和朝廷の時代から、中国が倭といったために、倭(ヤマト)大倭(オオヤマト)と我が国を言い、その後日本(ヤマト)と記した。大化の改新の頃正式国号名として用いられた。明治22年制定の旧憲法では「大日本帝国」が国号として用いられた。とある。
大辞林では、聖徳太子が「日出処天子」と随に送った国書と記した発想から、「日本」を正式の国号としたのは大化頃からと思われている。
大化の改新は645年の事だ。
中国では国号が決まったのが1949年と言う。其の前に国の歴史はあるが、国号とは何か、『歴史を考えるヒント』網野善彦著/新潮選書を開いた。日本という地名、日本国の範囲、関東と関西、誤解された百姓、他。
アメリカの国号は独立記念日の1776年、中華民国は1949年、日本は645年が国号の決まった年なのだろうか。日本とは、どのようにして誕生した名前なのか気になります。
R0077037.jpg
2012年9月30日庭のハゼの盆栽が紅葉真っ盛りとなった。街道では遅かった彼岸花がまだ蕾の場所と、咲き誇る場所がある。
R0076861.jpgR0076942.jpgR0077002.jpg
nice!(27)  コメント(4)  トラックバック(0) 

nice! 27

コメント 4

扶侶夢

網野善彦氏の説・著作には、色々と気づかされる部分がありますね。
七世紀以前は「日本」も「日本人」も存在していない訳で、縄文人や弥生人・聖徳太子なども日本人とは認識されていなかった事になっています。
「倭人」ではあっても「日本人」ではなかったという訳ですね。
ヤマトを中心とした国家意識の目覚めと共に、七世紀後半になって天武・持統の頃に「日本」の国号は天皇の称号と対になって定まったと言われていて、大宝律令の出来た701年に遣唐使が「日本」の称号を掲げて中国を訪れたのが初めての公式認定と考えられるようです。

by 扶侶夢 (2012-09-30 17:44) 

かずい

ご訪問ありがとうございました。
何かと領土問題が起こってますが、歴史を正確に学び、
平和的解決をして欲しいですね。
by かずい (2012-09-30 19:17) 

Silvermac

NHKの吉田茂を覧ていますが、製作意図がよく分かりません。
by Silvermac (2012-10-01 08:26) 

SILENT

扶侶夢さま
聖徳太子は日本人ではなかった時代、国境はおおらかだったんでしょうね。国とは何か、怖いものですね。
かずいさま
領土は世界で再分配の時期に来ているのでしょうね。歴史は大事ですよね。本当に。
Silvermacさま
吉田茂とNHK誰がターゲットなんでしょうね。英語版で海外で放送すべきではないでしょうかねー。この時代。
by SILENT (2012-10-01 15:27) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

20141947 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。