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三日月藩 [物語]

大磯の町を横切る旧東海道は、国道一号線として東京から京都を結ぶ主要な道路だ。その大磯の一号線の一画に「さざれ石」という地名の信号とバス停が或る。この宿場町の渚では美しい細石(さざれ石)がとれて有名だったという。明治の中頃此の地に、日本で最も古いという西洋式海水浴場の仕組みを作ったのが、徳川将軍の御典医でのちに蘭学医となった松本順だ。松本順は長崎で西洋医学を学び、大磯の此の地で日本国民の健康の為の海水浴場を開いた。その松本順に、さざれ石に似せた飴を作り、茶請けの菓子として、松本順に試食してもらい「さざれ石」という命名をしてもらったのが、旧三日月藩につかえた寿堂という菓子屋の主だったという。
今はその名菓は作られていないが、九州の地の三日月藩という響きが、さざれ石という響きと対応していると思えてくる。国道沿いに或る新しく出来た民家を改築した自然食の店に立寄った。内装は自然で木の香がした。扉は三日月の手懸りがついた格子の建具。真鍮の三日月のペーパーウエイトが釣り銭の皿に乗って最後に登場した。真鍮のそのおもいかたちは栓抜きにもなるのだという。三日月に出会うことが多い日だった。

路地裏に三日月かくれ昼下がり  SILENT

蛇足だが江戸城の正月に大奥では「おさざれいし」という行事が行われていたという。手頃な大きさの三つの石を愛で、何故ながら、「君が代は〜さざれいしの〜巌をとなりて〜苔のむす迄」と繁栄の世を願ったという。その行事に使われた石が何処産であるか以前宮内庁に問い合わせtみたい思いが過ったことがある。そんな石の器に大磯の「うつわの日」というイベントで出会った。
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作者に問うと、「お風呂の皿かな」と楽しい返事。実際に小石を並べたものでなく釉薬で水玉状に描いたものという。昔の風呂場にはこんな意匠が施されていた気がする。小さなタイルの集積と小石のハーモニー。流し場や、外の水道の水受けにこんな姿を見た様な気も。
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海岸で小石の多い場所では波が打ち寄せ、曳いた後に、水に洗われ輝く光景があった。左官仕事で「洗い出し」と呼ばれる様々な小石のサイズをセメントの中に浮かび上がらせた意匠。此の町の石塀や玄関他で見かけることが出来るディティールだ。
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敷石のリズムは何故か魅惑的。

この家の中でもうつわの展示
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苔のみの庭先の陶器の展示空間が見事
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陶器の花が浮かんだ庭先
親子五人が陶芸家の、楽しそうな一家の案内状が置かれていた
次回その地に行ってみたい
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小さきものの名札達も陶器で
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苔を満載した陶器のちいさなちいさなトラック達
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ガラスの器達の展示
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硝子はまわりの空気を吸い込み反射し、遮断もしている。
まわりの空気のが硝子となって、硝子は水となる。
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無花果の実と大きなギヤマンの皿
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鴫立庵という古刹を望むギャラリーの陶器作品
硝子を隔て江戸の世界が臨める不思議
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そらへい

三日月藩という藩が存在したのですか。
何となく時代小説に出てきそうな藩名です。
月とか星が付いている名前は何となくロマンチックですね。

この館の、不思議な雰囲気を
写真に納めるのは結構大変だったのでは無いでしょうか。
by そらへい (2013-10-20 18:01) 

SILENT

そらへい様
三日月藩は兵庫県でした。播磨美作地方でした。日本も藩政時代は多くの藩があったようですね。家の撮影は広角レンズが役立ちますね。
by SILENT (2013-10-20 21:26) 

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