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写真対論 [写真]

写真対論と題して、「写真の話」が今日の日曜日この町であった。写真評論家の飯沢耕太郎さんと、自称素人写真家の八百屋白菜さんの二人の対論だった。お二人を結びつけているのは写真家アラーキーこと荒木経惟さんだった。飯沢さんの故郷仙台から近い気仙沼の写真集の話から、話は始まった。「この街に暮す十年後の人々へ」と題した写真集は1990年代の気仙沼もとよし地区の人々が写されているという。あの大きな震災がなければこの写真集は話題にもならなかっただろうと飯沢さんはいう。この湘南の町にも十年後の間の何事もない保証はない。写真はある時、人の心の支えになるという一枚の写真を思い浮かべた。そもそもこの対談は、この街に住む一人の主婦のアイデアで町の人々の寫眞を撮って日めくりカレンダーを作ったらという発想で始まったカレンダーの完成披露もかねて行われたという。
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掌サイズの日めくりの分厚いカレンダーには、この夏の暑い盛りから撮られた老若男女の姿が写っている。モノクロームの世界で喜怒哀楽が捉えられている。もちろん怒っている方は写っていないのだが。
この写真のシャッターを切った八百屋白菜さんは、写真とは自分を撮ることだと仰有る。町の方々と対話する自分の姿を捉えるものとは、写真とは恐ろしいものだ。
アラーキーのモットーは、写真とは、「撮ること」「選ぶこと」「見せること」の3点に尽きるという。携帯でもたくさん良質の写真が撮れる時代、選ぶこと、見せることに神経を使わず、撮ることだけが好きな人が多いのだろうと思ってしまう。
それにしても、300頁を超える編集大変でしたでしょう。
デザインは、私の好きな杉浦康平さんの愛弟子にあたる方が担当されたそうで、厚い日めくりの側面には旧暦と月の満ち欠けがパラパラと頁を動かすと、月の満ち欠けが見事なぺらぺらアニメとして動き出す仕掛けが楽しい。流石杉浦調が仕掛けられ、細部に魂が宿るお仕事だ。
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モデルになった町の人々の表情がひたすら自然でよい。
話は荒木さんの代表作「センチメンタルな旅」の陽子さんの乗る舟の写真について飯沢耕太郎さんが語った言葉が衝撃だった。何度もこの写真集について本を書いてきた飯沢さんがショックを受けた内容が、フランスの作家フィリップ・フォレストの『荒木経惟 つひのはてに』という本だという。彼女の乗る舟の写真に彼女の頭の下に或る資生堂の包装紙が、飯沢さんには彼女も資生堂の製品を使っていたのだろう位にしか思わなかったという。フィリップはSHISEIDOUと書かれた文字が、SHIのみしか写真には写っておらず、それは彼女が死の上に頭をのせた姿を写したものだと描写している。SHIはフランス語では死を意味せず、日本語としての死の暗示をフィリップ氏が見たことは興味深い話に思えた。図書館に行き、こっそり以下の頁をコピーさせてもらったら、私が思い込んだ、資生堂の資でなく、SHIの文字が鮮明に見えた。写真を見るということはどういうことなのだろう。「写真の読み方」という名著では、キャプションで写真は危ういものに利用もされてしまうという危険な話も連想してしまった。
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手元に40年前頃に横浜の赤煉瓦倉庫を撮ったプリントが出てきた。
あの頃、四十年後の赤煉瓦倉庫の存在と、自分の今の姿を想像もできなかったことを、ふと思う。
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何か、切なく、嬉しくも或る今日という日。
駅前の日没の光景の中で、松葉杖をつき犬を散歩させている私に問いかけてきた人が居た。
8月に愛犬を見失った方で、最近この街で目撃されたので、昨日と今日とこの街を探し歩いているという。あのポスターで探されている方だとすぐ思いだしたが、私には手懸りはない。その人の後ろ姿が悲しげに見えたが私にはなす術もない。
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晩秋の夕暮れの公園に浮かぶ天使を見た。劇場の様な秋の陽の照明がそんな想いにさせてくるのだろう。
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机上にはクリスマスを運ぶトナカイの姿が今年も或る。
私の机上に何を運んでくるというのか。
朱のマフラーが眩しい
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震える たましい
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いざ
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時を弾け音色はオリオンの黄泉空へ   SILENT

今日は深い藍色の空に一点透視法の様な、飛行機雲が富士を目指して飛んでいた

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コメント 3

cafelamama

「センチメンタルな旅」の船の写真は見たことがあります。
SHI(死)の上に頭をのせた姿を写したものだとの解説はたいへん興味深いですが、荒木氏のねらいなのかどうかは、微妙な気がするのですが。
by cafelamama (2013-11-25 12:15) 

silent

cafelamamaさま
荒木さんが、この見解に何と言われるかは、興味ふかいですね。人智を超えた世界に写真という存在もある気がします。無意識の中で時代を捉えたカットだと思います。
by silent (2013-11-25 12:41) 

寂光

私の記憶では、
この陽子夫人の写真を撮った時か、
夫人が病に入院していた時に、
荒木氏は夫人の死を感じ取ってたと話していたことを、
テレビの番組で見たような気がします。
記憶が定かではないので、
私の思い違いかもしれません。

私の場合、
撮っている本人でさえ気が付いて異なことが多く、
写真を読み取ることなど至ることの無い境地であります。
by 寂光 (2013-11-25 20:37) 

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