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ときかさね [時]

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日本に時を始めて計る事が、飛鳥時代671年旧暦四月二十五日、太陽暦では六月十日に漏刻(水時計)新設による。と「若き古代」という著作の中にある。水時計は水の溜まる量で時間を知り、時刻も知る。
それ以前の日本には空間の概念しか存在せず、時間は眼に見えない抽象的な概念である。
目の前にある空間に、時間という存在が、水の量で計れるとは当時の人は驚いたろう。
日本語の中で登場する、大事な「間」という概念の誕生でもあったという。間が大切、間が良い、間抜け、間を空ける、間を取る。間の起源を「漏刻」に見ることが出来るという。
確かに、「時を重ね」「時を計り」「時を隔て」時とは量であり、距離でもある存在になった。

ときかさね若き古代は春の聲

「若き古代」の本の題字は、北王子魯山人の集字とある。魯山人の揮毫した文字から拾い集めて、題字のデザインを構成したものだろうか。この本の著者は欧羅巴のある教会で、足元の古びた敷石が日時計になっているのを見て、西洋とは、時を日時計で知ると言う事に思い至る。日時計は水時計と違い量が無い。移動する日時計の影は常に一つで、常に現在のみを指示する。日時計による時間の概念は、移行する時刻の概念で、ここには「進化」の概念の起源があるという。

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「間」は、時間にも、空間にも、人間にも存在する。その年輪や頁の積み重ねは、地層のように厚みを増していく。間を持たせ、間合いを開けて、間を計る。
「進化」は前にのみ進む、後ろ向きの進化は聞かない。ひたすら「前に」進化を求める人や国の存在。

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日本や東洋の楽器は、逆進化系の楽器が主流だという。それは限りなく自然に寄添い、自然に同化する為なのか。西洋では楽器も進化し、音を分解、分析し、デジタル化のなかでより進化させるという。
進化した楽器と、逆進化する楽器の出会いはないのか。

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ときかさねくももかさねてはるかさね    む お ん

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石ころを見れば聴こえる山春香

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寺田寅彦の言葉に、「眼は閉じることが出来るのに、耳や鼻は閉じる事が出来ないのはどうしてなのか」という質問があった。色々な解答納得出来た様な出来ないような。

はるのつきおぼろのうえにときかさね

春の月 朦の上に 時重ね
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