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一月三日 [俳句]

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年末家中の短冊の額の入れ替えを行った。短冊天狗なる言葉があって、江戸の頃にか、著名人の短冊を収集することが流行ったようだ。こちらは天狗にもならない十数枚の短冊を季節に合わせて架け替え、眺めては詠み楽しんでいる。写真は増田龍雨の句「ひめ始 八重垣つくる深雪哉」金と銀の短冊の配色の比が粋で、銀化した紙の歳月も時代を物語る。龍雨は、明治七年生まれで、昭和9年に60歳で没した俳人で、遊郭の書記をしていたという。遊郭の書記とはどのような仕事だったのだろうか。京都生まれで義父は雷堂龍吟といったという。三田文学の久保田万太郎が好きな俳人で、『龍雨俳話』は有名。龍雨の句で、「又ひとつ寄席なくなりし夜寒かな」は好きな句。八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣つくるその八重垣を
上は日本最初の三十一文字和歌と呼ばれ、「八雲」とは、歌を詠むことをさすとも言うそうです。
短冊の「ひめ始め」は諸説あって、姫始め(ひめはじめ)とは、頒暦(はんれき)の正月に記された暦注の一。正月に軟らかく炊いた飯(=姫飯(ひめいい))を食べ始める日とも、「飛馬始め」で馬の乗り初めの日とも、「姫糊始め」の意で女が洗濯や洗い張りを始める日ともいわれる。
1月2日の行事であるが、由来は諸説あってはっきりしておらず、本来は何をする行事であったのかも判っていない。一般には、その年になって初めて夫妻などがセックスすることと考えられている。
かつての仮名暦の正月の初めに「ひめはじめ」とあったのが、その解釈をめぐって多くの説が生じたものである。真名暦には「火水始」とあった。卜部家の秘説があるといわれた。
最も有力な説は、正月の強飯(こわいい。蒸した固い飯。別名「おこわ」)から、初めて姫飯(ひめいい。柔らかい飯)を食べる日というものである。昔は、祭の間には強飯を食べ、祭が終わると姫飯を食べていた。
ーーーーー以上ウイキペディアより
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