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二月十七日 [時]

2014年2月8日かなりの積雪が湘南地方にあった。平安時代からの古刹、真言宗地福寺は東海道大磯の宿場の中央付近北側にある。その裏山一帯が大磯駅前に広がる旧岩崎弥之助別荘だった通称岩崎山と言われる現在のエリザベスサンダースホームの敷地になる。サンダースホームの敷地内の山頂から地福寺の本堂が見下ろせる関係にある。昨年降り積もった雪は、地福寺の白梅の林を白く化粧するように一面の銀世界になった。この梅林の西側に、文豪島崎藤村夫妻の墓がひっそりと質素に佇んでいる。その背に石垣があり、当村ゆかりの小諸城の石垣に似ていると、生前の藤村は境内を白梅の咲く頃散策するのが好きだったという。明治の初期大磯の地の、高麗石という石垣は、岩崎別荘がその敷地の周りに巡らしたそうで、その石工たちは、皇居の石垣を築いた石工たちが任にあたったという。
地福寺境内の本堂の裏山には、当村の弟子の天明愛吉氏が借家住まいをしていたそうでこれも藤村が地福寺を訪れる理由だったという。1年前梅の蕾を包むように雪が舞い積もっていた。その時故郷木曽の馬籠は深い銀世界に閉ざされていただろうと思う。
この地で絶筆となった「東方の門」の原稿とともに文豪島崎藤村は静かに今も眠っておられる。
二月十七日.jpg
平成27年2月17日大磯駅前のエリザベスサンダースホーム敷地内にある、澤田美喜さんの蒐められた隠れ切支丹の遺物を展示する、澤田美喜記念館を訪れた横浜からのお客さんとご一緒に、久しぶりに記念館を訪ねた。
数年前リニュアルし、建物の中は整然とガラスのなかにあった。以前は展示物には一切の説明文は無かった。今は簡単なコメントの札があり、入館料もとられている。写真撮影は禁止なのは以前も今も。以前は、私は御堂守りと仰られていた館長さんの信仰に対する厳しい緊張感が満ち満ちていた。今は宗教的な気配が無くなったわけではないが何か昔とは違う。
鳥取の陶芸家が陶器のコレクションを展示する光景を思い出した。彼の展示方法も何もコメントはしない主義。何かを感じるのは、国籍でも、制作年代でも、作者の名でも、有名無名にかかわらず、そのものそのものの存在感だと、陶芸家はいう。そういえば我が師の絵の先生も、作品や作家名を見てから絵を見るなといわれていた。本物ならばその存在感が圧倒して訴えてくる。今は説明の時代。その説明を聞いて見て、作品なり物に対峙して納得する。そんな時代はより加速したサービスを展開している。これでもかという態度は、原発は本当に安全ですよだからとの説明にも通じるのだろう。昔がいいわけではないが説明はどこまであっていいのかと、ふと考えた。展示のあった地獄の裁きの軸の前でいつも何時間も見ておられたという裁判官の方がおられた話を思い出した。そうだ、その存在に疑問を持ったら自分で考えればいい、考えに考えて分からなければお尋ねすればいい。説明文で分かった気になることは軽薄だと思えばいい。何か激しく反省してしまった今日の出来事でした。
高山右近のゆかりの地を訪ねた初代館長さんが、その地で「神は知る、人は知らず」という言葉に出会った話を思い出しながら。
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斗夢

昨日はお忙しい中を長時間ご一緒頂きありがとうございました。
宗教について、生き方について記念館を訪れる前には考えもつかなかった
事々に接し、有り難い一日だったと思っています。
きのうの経験は自分なりにまとめて近日中にブログにアップするつもりです。
ありがとうございました。
by 斗夢 (2015-02-18 04:45) 

SILENT

斗夢様
こちらこそ勝手に寒い中あちこちとお付き合いくださりありがとうございました。楽しい一日でした。
by SILENT (2015-02-18 21:35) 

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