七月九日 [時]
錆びたトタン板を見ると何か郷愁が湧いてくる。鎌倉の腰越の海岸に黒トタンの小屋があった。波板を縦に横にパアチワークのように貼り合わせ横長の小屋は、丸太が支えていた。いつしか取り壊され小綺麗なショップになった。襤褸のように錆び錆びのトタンと黒いコールタールで塗りたくったような外壁は、古武士のような趣があった。錆びた釘穴の場所や、朽ちた端の隙間から夏の日差しが、砂の床に差し込む光景が浮かんでくる。トタン屋根にはトタンの壁が似合う。小田原で空き家のようなトタン張りの家を見た。殴り書きのようなペンキの色が、思いつきのように塗られ、何色もが調和しているように見えたのは時の経過のためなのでしょう。色褪せ時を刻んだ家でした。
明治42年湘南大磯の、大磯座開業以来毎日客止の盛況。
大正2年大磯のダリア盛況。この時代の花の女王か、来磯者続々。
昭和8年涼味百パーセントの海の爆破作業で、漁港の建設中。
昭和10年中郡水産会社が払い下げの潜水艦、三浦の浦賀ドックで7日解体、8月に大磯沖瀬の海に設置。松竹キネマが撮影出願。瀬の海には戦後も潜水艦を設置、何隻も沈んでいるのか。
明治42年湘南大磯の、大磯座開業以来毎日客止の盛況。
大正2年大磯のダリア盛況。この時代の花の女王か、来磯者続々。
昭和8年涼味百パーセントの海の爆破作業で、漁港の建設中。
昭和10年中郡水産会社が払い下げの潜水艦、三浦の浦賀ドックで7日解体、8月に大磯沖瀬の海に設置。松竹キネマが撮影出願。瀬の海には戦後も潜水艦を設置、何隻も沈んでいるのか。
2015-07-09 12:21
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