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十月十五日 [山]

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            装いは微笑みに似て山の秋  むおん






季語で秋の山は、「山粧う」というそうで、紅葉に彩られた山々の姿が浮かぶ。湘南のこの町からも初冠雪に装った富士の高嶺が遠望できた。アオバトも今朝の樹々の深い緑の上を飛行して、海から山へ帰って行った。間もなくアオバトたちも南に渡りを始めるだろう。




          
               森を飛ぶ鳥達叫びて秋深し  ムオン




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九月二十五日 [山]

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神奈川県秦野市蓑毛の棚田付近の彼岸花。なだらかなミカン畑と緩やかにカーブした道がどこか懐かしい。アキアカネの番いが稲の上を飛んでいた。
数年間使っていたガラ携に、SIMロックを解除してもらい再度使えるようにした。
世界中で今やスマホや携帯は生きるための必需品かしている。
アジアの島で縄文時代のような暮らしをされていた方もスマホや携帯は必須だと、人から聞いた。





       








           あの道を曲がって秋と出会う旅     ムオン









八月二十七日 [山]

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東北は花輪線の湯瀬温泉駅の朝、2時間に一本の時もある時刻表に少しだけ驚いた。自動車やバスがこの地域の足なのだろうか。道路を行き交う車には出会っても、夏場のせいか人の姿はめったに見かけなかった。限界集落の全国に多くなっている状況を思い浮かべた。3両編成の車両が、とても頼もしく見えた。故郷とは何か頭で考えた。駅前を老人と離れた距離を歩き振り返る姿のみの子犬がいた。雨の関東に戻り車のフロントグラスを流れる雨滴が妙に美しかった。






           秋雨の流れゆく先 明日があり     ムオン





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八月二十二日 [山]

大正15年の今日、湘南大磯で自動車の水売り大繁盛。自動車の水タンクはどんな姿だったのか。水はどのようにして売ったのか。買ったのか。当時は氷屋さんもあったのだろうか。真夏の空の下の水売り。雨が降らずに井戸の水も枯渇したのだろう。カキ氷の旗がはためく大正の夏。

みちのくの旅をしてきました。しばらくは旅の印象から書き込みます。
八幡平の池 平成27年夏。
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みちのくの濃き夏の奥に光りみる     無音






八月四日 [山]

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先日箱根山の大涌谷の噴煙を見た。望遠レンズのファインダー越しに撮影した画像。最近視力が落ちファインダーが見にくいのだが、眼科での検査では視力が落ちているのではなく、眼鏡が合わなくなってきたようだという。レンズの強度を弱めたほうがいいのかもという指摘だ。手持ちの古い眼鏡をかけた見た。何かよく見えるようだが、近視や乱視に老眼と三個のファクターがバランス良くあった眼鏡は難しいようだ。裸眼で見たほうが何かすっきり見えて今は一番楽です。古い眼鏡は何か気分も新たにしてくれる。新しい眼鏡を作らないで済むとしたら経済的だ。手持ちの眼鏡7個ほど出てきた。40年以上前に作った眼鏡まであった。

大正15年の今日、湘南大磯の水攻め、井戸渇水のため平塚や高麗境から一斗八銭、一荷十銭で買い水した。

昭和29年 湘南大磯北浜沖合500メートルに、米軍ジェット機が海中墜落。

七月二十五日 [山]

湘南大磯の、こゆるぎ海岸から箱根の山を望んだら、右手の大涌谷の噴煙が見えた。
相模灘越しの箱根の遠望と、昨晩仙石原から見た大涌谷の光景。約2キロかロープウエーのケーブルから枯れた樹木が望遠レンズの彼方に見えていた。
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六月三日 [山]

単純に、『視えるがままに描く』という行為を長時間続けていると、モチーフを視る眼の視点が少しずれて、全体が混沌とした粒子の流れに溶け込み出し、表面の世界がまったく異なった相貌を呈しはじめます。その流れをできるだけ忠実に手の運動と共鳴させるようにして線に置き換えていくと、描いた線によってモチーフを視る眼はしだいに影響を受け、次の線につながり、少しずつ輪唱のような眼と手の運動の一体感のうちに仕事が進められます。交差しないという原則によって、それぞれの線は画面上に等しい価値を与えられ、全体の同時的な運動に加わっていきます。

以上は銅版画のエングレービングという技法の解説を、門坂流さんという絵師が述べたものです。流れる線がダイナミックな光の粒子や風となってウネるように画面を構成します。心地よく繊細で激しさも含んだ世界です。絵はどこから描き始めてもいいのだはなく、光の白い部分から陰へと描き進めるのだそうです。光の頂点は紙の白です。何かハイキーな写真のような趣の世界です。白日夢のような世界に細い線が陰を描き出す。好きな世界です。そんな門坂さんの山岳の風景に、アオバトを重ねて合成したくなりました。

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昭和2年(1927)野犬買い上げ数湘南大磯は50頭。二日間に神奈川県下で1290頭の買い上げ数。いくらで買われ、犬を捕獲する人々はどれだけいたのか。飼い犬のが捕獲されやすくその対象になったという話も聞いた。竿の先に針金を取り付けた捕獲道具に、自転車の後ろの荷台にリンゴ箱。なにかこの人に出会うと子どもの頃恐怖を感じた。その頃の街の上空にも海水を飲みにアオバトたちは飛んできていたのだろう。2015年のこの日は雨、丹沢の山の奥のブナ林で今は巣に卵を温める時期のアオバト達、雄雌は交代で海岸までやってくるのだという。雨の中を飛行するアオバトの姿は今日も見られるのだろうか。

六月二日 [山]


先日山梨県から見た夏の富士山頂。蒼く霞む空と青い山頂の下に薄青色の雪が見えた。

火山列島日本の下で大きくマグマや大陸棚が動いている。大きな地球の呼吸の陰に、人も草木も獣たちも小さな命の胎動を今日もしている。感謝の朝。

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明治29年のこの日、外務次官だった原敬40歳、湘南大磯の南下町1390番地に別荘建築。
昭和11年湘南大磯の貸家、貸し間案内所開設。今年の売りは水道とプールが売り。
昭和17年神奈川県中郡各町村農家へ、中等学校19校の生徒2500名が一週間の農繁期を克服する。この時期の農繁期とは田植え作業だったろうか。作業をする農家の働き手が軍へ徴兵としていない家も多かったのだろうか。銃後を守るという言葉を思い出す。

五月二十一日 [山]

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箱根まで出かけてきた。大涌谷の水蒸気噴出量増大と火山性地震のため箱根湯元の街もなぜか静かだった。函嶺洞門は新緑に樹々に覆われ美しい光景だった。箱根駅伝では多くの選手達がこの洞門を通過した。今は迂回する道路ができ人も車も通行できない。隧道という名のトンネルと、洞門の違いは日差しが横から入るスリット状の構造が洞門なのだと考えた。スリット状の光のドラマチックな光と影を頭の中で描きだしてみた。初夏の日差しは箱根にも輝いていた。

箱根の山とはどの範囲をいうのかと、ふと考えた。箱根地域と箱根山全体の大きさは地図を広げればわかるが、火山活動でどの範囲が立ち入り禁止なのか、メディアの報道でははっきりしない。何か安全地帯と危険領域を提示するのは非常に難しいことなのだとおもう。観光と火山活動の予測。人間の思惑が作用している部分が多く、科学的という信頼性がどこまでわかりやすいことなのかも不明だ。科学的に火山活動の分析を知れば知るほど何かわからなくなる。
自然を人はコントロールできないということのみ自明だと感じた。


五月十八日 [山]

朝起きると山の尾根の稜線を7羽程のアオバトが飛んでいく。
望遠レンズを持ち出すと30羽程の大きな群れが海岸へ向かって空を旋回している。
遠く丹沢の山から大磯の海岸まで海水を飲みにやってくる季節になった。
湘南平にあるテレビ塔も目印として飛んでくるのだろう。霧が谷を駆け上り緑がより濃くなる季節だ。
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