十一月二十三日 [山]
箱根仙石原の紅葉、発電所の脇に貯水槽に溜まった落ち葉を取り出すコンベアーが作動していた。
枯れ葉たちは木から大地に落ち、循環している。山一つで大量の落ち葉だろう。その重さを思うと気が遠くなる循環。赤い葉や黄色い葉の舞う姿に生命の循環を見る。
舞い落ちる冬紅葉の旅の長さかな むおん
カサ コソ サササ スー ハラリ サラサラ コソ ガサ シーーーーーーン
枯れ葉たちは木から大地に落ち、循環している。山一つで大量の落ち葉だろう。その重さを思うと気が遠くなる循環。赤い葉や黄色い葉の舞う姿に生命の循環を見る。
舞い落ちる冬紅葉の旅の長さかな むおん
カサ コソ サササ スー ハラリ サラサラ コソ ガサ シーーーーーーン
十一月十九日 [山]
十一月十八日 [山]
十一月十六日 [山]
十一月十五日 [山]
十一月十三日 [山]
十一月十二日 [山]
十一月五日 [山]
仙石原高原のススキを遠望した。ススキ野原の中央に大きな遊歩道が作られ何か巨大な溝のように見える。この溝がなければススキ野原は何か自然に見える。自然を求めて人々が集まり何か自然でない光景を作り出す。この広大なススキが原も人間の手によって作り出したものなのだろうか。
観光する人々の多さに、ふと「二つの観光」という最近読んだデータを思い出した。今から百年くらい前の日本と台湾、二つの国は二つの観光が存在したという。一つは台湾から少数民族の指導者たちが植民地統治国の日本へ、その国力を見せつけより強力に支配するために、日本への観光をするよう招いたという。少数民族の指導者たちは日本という国をどう見たのだろう。その指導者の一人モーナ・ルダオは日本の圧倒的な人間の数に驚いたという。河原の小石のように数え切れない人間が都市という世界にいる。この数の多さには、自分たち少数民族では到底太刀打ちできないと思ったという。
そして彼の故郷台湾の自然の美しさを求めて日本の文化人や教養者が、台湾の観光を楽しんだという。
二つの観光は、今の世界でもどこかで行われているのか。ふと気になった。
工場視察や工場見学、都会の整備状況視察の人々の話はよく聞く話ですが。
もう一つ、旅とは知らないもの未知なるものに出会うこと、といった側面以外で、自分と同じ世界に出会う喜びというエッセーを読みました。知らないことに出会うこと。知っていることに出会う喜び。
世界に同じように喜びや悲しみを共有
していることを体験できる旅、どちらも旅の醍醐味と感じます。
小さな散歩でも、何か遠い世界にやってきたような思いを描くことがあります。
秋へと車冬へと人の群れ急ぐ むおん
十月三十日 [山]
この町から眺められる富士の姿は、その場所の地名から何か想いがより深まる。台町の坂から、坂を登りながら大きな富士の山容が見られる光景は圧巻だ。その先2キロほど切り通し坂を下り始め、切り通しの狭い幅の暗がりから、いきなり広がる坂の下の彼方に大きな富士が裾野を広げる光景も圧倒される。切り通しの左手の住人が、かって吉田茂首相の本邸だったことを知る人も今は少ない。その切り通しの左手の門を入ると吉田邸の二階の窓から松の林の彼方に富士が一望できた。切り通しの右手は三井高棟別荘があり三階の楼閣からは富士の山容が見られたという。この切り通しからの富士を「下がり富士」。台町の坂の富士を「上り富士」と昔の人は言っていたという。切り通しを超え、右手に旧東海道があり、その古道を行くと左手に富士が見えてくるという。東海道でも道の左側に富士が展望できる場所は少なく、旅人は「左富士」とそこから見える富士を呼んだという。数日前の初冠雪も少し溶け、富士の頭も白さが消えた上り富士の前に、何か電線がうるさい。「電線富士」と呼ぼうか。
電線に背伸びする富士秋ふふふ むおん
いずれも台町の坂より
電線に背伸びする富士秋ふふふ むおん
いずれも台町の坂より