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路上藝術 [アート]

1980年代の終わりの頃だろうか? 東京は青山のキラー通りにギャラリーワタリという著名な画廊があり、その前のキラー通りを挟んで小さな白い建物があった。この建物で夏は花火を販売する花火ショップとして楽しみがあった。ある日その小さな白い壁一面に太い線書きの絵画が描かれていた。
道路際の壁面や、ガード下、倉庫等にスプレー缶やペンキで路上藝術がアメリカからやってきていた。
キラー通りの絵画の作者は、アメリカから来たキースへリングの作品だった様に記憶する。
そのキースの作品に会いに八ヶ岳の麓にある、中村キースへリング美術館にいってきた。
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31歳で此の世を去った画家は、エイズという病気が蔓延し、性とは何か、生きることは何か熱い時代に生きていた。路上に描かれた作品が建物の取り壊しで消えたり、上から塗料で塗られて消えた作品等も多いのだろう。雨や風が作品を風化させ消滅する世界は、チベット僧の描く砂の曼荼羅を連想した。
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ミュージアムショップからの椅子のある光景も素敵だった。
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屋上は真夏の高原の雲と美術館の屋根のコントラストが強い。
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ノートにはキースファンのイラストが記念に描かれて
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キースの作品でも好きなネオンの作品
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外観は著名な建築家の作品で、附近の森にマッチしている
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美術館のグループの、レストランや、スパ、アトリエ、ホテルも周辺に散在する。
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木漏れ日の中の紅いサインボードが、思い切り心地よい。
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太陽の赤には元気が貰える。

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旅の途中の一期一会の風景
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超常現象 [アート]

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神奈川県藤沢のアトリエ・キリギリスさんに最近お邪魔した。
「書かず道」といった不思議なタイトルの陶器による書道作品を展示されていた。
陶器で作られた数々のアート作品は、偽物やインチキ物が大好きという、フクモ陶器の社員の作家による。緻密で大胆な祈りの存在が感じられた。専属学芸員さんの解説が、シリアスで別世界の世界へ誘ってくださる。今の世の中、嘘を本当と丸め込もうとする人々が多い中、最初から嘘でキッチュな世界ですと紹介されると、俄かに真実味を帯びて作品が訴えてくる。
陶器の硯の池で墨を擦り、その墨が硯に彫られた穴を通り、陶器に彫られた文字を墨が流れて黒い文字を出現させるといった作品。思わずシンクロニシティーで、福島の汚染水を連想した。太平洋に見えない文字で、月の表面からは目に浮かぶような文字「今も海を汚しているのは日本人の貴方達だ」
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作品は金や、繊細なレリーフ、大胆なかたち。連想して机上の鳥取の作家の趣に共通点を見た。鳥取の作家はバーナードリーチ生前中に深く感化を得ている。英国にも原型が見つかりそうなグラタン皿か。
フクモ陶器の品々は非実用品と言うが何か、精神的には実用である趣が強い。
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スペインの作家の不思議な佇まいの、鳥の様なかたちの焼き物がある。フクモ作品を見て思い出した。
最近人を覚えるのにも誰々ににていると類似性で憶える。分類してタイプ別に記憶するのだろう。
アート作品も、似たものどおしの存在を見つけて安心しているのだろう。作家はたった一人の個性なのだが。
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アトリエ・キリギリスでは九月始めまで企画展、数々のイベント展開中とか。興味のある方は「藤沢アトリエキリギリス」で検索して開廊日ご確認の上、出かけてください。
超常現象な作品群と感動しました。アートとは怖れや滑稽さや凄味が必要なことわかりました。
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2013 [アート]

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A HAPPY NEW YEAR 2013

I LOVE APPLE
I LIKE EVE

林檎を齧ったイヴは原罪という言葉を知っていたのだろうか
林檎を齧った青年がガレージで作り始めたものは何なのか
林檎を今年は幾つ食べる事になるのだろうか

2013年も どうぞ よろしく お付き合いくださいませ

S I L E N T

1987 [アート]

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1987年発売 定価6,400円 AM/FM/TV 単三電池3本使用の愛用のラディオ。数字のデザイン処理とシールのような印刷効果が何か斬新に当時は見えた。ピアノブラックの上の数字が浮き上がり、当時のブラウンのデザインからかなり影響も受けていた気がする。書体も好みなので今なら、液晶画面に、ラディオの表面を自在にアレンジ出来るアプリもありそうですね。1980年代カラーコピーもかなり普及していただろうか。社内のゼロックスカラーコピーはかなり高いコストだったかも。ラディオは手元のスキャナーで画像を取り込んだ。当時はカラーコピー機に、顔を押し付けてコピーするとか、掌をとる等、遊びのコピーアートが流行った。イタズラで時計を録ったり、アルミホイールを丸めて写し楽しんだ。
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話題の本『MAKERS』21世紀の新しい産業革命!を読み始めた。面白い。個人が大量生産の時代から解放されてメーカーになる。手作り商品がネットショップで販売され、本では3Dプリンターやキャドの広げる世界が展開する。あと少したてば、3Dスキャナーなんて物も登場するだろう。立体を平面の世界に展開した設計図に置き換えるような。人間も分子レベルで分解し、組み立てなおすような世界。かなりの恐怖に思えるのだが。音を運ぶラディオは心も運んでくれる。
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1947 [アート]

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1947年28歳で夭折した画家、小野元衛展に出かけてきた。
鎌倉は巨福呂坂の切通しに近い場所にある、神奈川県立近代美術館鎌倉別館が展示会場だった。一枚のちらしの表面の洋館を描いたその線が非常に気になっていた。ゆらめくような画面を構成するその線が、力強くまた何是かたどたどしくも見えた。かたちを構成する線の歪みが何か強烈だった。会場で神田御茶の水にあるニコライ堂をバックに写る二人の青年の一人が作者、小野元衛だった。明るい日射しの中にスーツを着た二人の姿はモダンに見えた。彼はこの附近にあった文化学院に通学し絵を学んでいたようだ。多くのニコライ堂を描いた作品があった。広角レンズか魚眼レンズで描いたような揺れて膨れ上がるような生命力に満ちた建物の印象を受ける。カジュラーホのインドの寺院のような饒舌さをも感じる。
何か鉛筆を持ち作者と一緒に描きたい気分になってくる。絵を描くことが好きで好きで堪らないひとだったのだろう。
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1943年禅月大師 藍衣と題した墨で書かれた作品は、何故か親しみがわいた。パウルクレーの若き頃の銅版画を思い出した。確かユーゲントシュティール時代の好きな作品だ。静寂と知的な貌の表情が似ていると想い後から家でクレーの画集を開き並べてみた。
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類似性は時代のせいなのか。クレーの作品は1903年乙女と題にある。
同じ時代が産み出した作家、ベン・シャーンをも連想させる線が元衛さんの作品を覆っていた。震えるようで力強い意志の線で描かれている。
下はベン・シャーン展の古いカタログから、白い汚れは後から点いたもののようだが余りにもシャーンらしい。
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彩色は何故か陶器の地肌に絵附けをするような情景が見えたのは、陶芸家楠本憲吉氏を師としたためだろうか。
赤絵や緑釉の色と構成が頭に浮かんだ。
妹の染織作家、志村ふくみさんの着物も特別出品されていた。
彼女の本は好きで数冊持っていた。その中に兄小野元衛について書かれた本が「一色一生」である。随分昔に読んだこの本で、ふくみさんの兄である画家の事は気になっていた。
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兄が亡くなる僅か前に完成した「朱の仏」に関しての話は胸を打たれる話だ。炎のような煉瓦が積み重なり紅蓮の空気が漂う建物や、仏達の世界から、見つけ出した青の世界の話は何故か安らぎの時間を感じた。
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青い世界に達した画家の世界を今少し見れたならと思ったが、妹さんの志村ふくみさんの織り込まれた着物の世界にそれは充分すぎるほど引き継がれているのを感じた。
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京浜急行金沢八景駅のホームから見た、空から入る扉。または空へと続く扉。扉迄は透明階段でどうぞ。
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2008 [アート]

R0079275.jpg2008年頃だろうか?ブログで知ったナカムラさんの、メールアートに触発され、現在も数人のアーティストと交流が続いている。彼等の本職は、牧師であったり、医者、大学教授、音楽家、サラリーマン、農夫、弁護士、職人、主婦、学生と様々であるところがいい。ウクライナからの友人は何をタツキとして生計を立てているのだろう。便りはウクライナの歴史ある町からのようだ。グーグルマップでは隣国ポーランドが情報満載なのにウクライナは田園地帯や森が開けている。
数日前彼からの便りがあった。日本語で書いてくれた「友人」の文字が嬉しい。
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一冊の本を読んでいる
兄弟は別の国にいる。国を超えて人々は行き来するし、行き来も出来ない状況。国を超えて人がいる筈なのに。
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2011 [アート]

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2011年オープンの箱根湯本「菜の花展示室」で開催中の、Daniel PONTOREAUさんの作品を見て来た。展示室には新しく、元露天風呂があった場所に、木の風呂桶が設置され、大谷石の敷き詰められた不思議な魅惑的な空間に、作品が展示されていた。紅葉の新緑が深みを増し濃い気配を漂わしていた。
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風呂の蓋の小判型と対応した作品の共鳴が面白い。
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緑には赤絵が映えて妖しい
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新しく加えられた御茶室の佇まい
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大きな展示室には整然と潔く作品が語りかけて来る
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光りと影が生きる 命の白
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展示室の片隅の好きな空間
床の左官をされたときの名残のテストピースが置かれた裏舞台
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漆喰と土壁との絶妙な気配が好きだ
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床は畳表を使って意匠したという話だが、どのように使われたのだろう。畳みの底の縞のようなディティールが足に心地よい。
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トイレにもひとつ作品が座っていた
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銀河と陰陽の構成の画面か
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ベランダに置かれた作品と、木のぬくもりが存在感あるベンチ
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会期は2012.6.30迄
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2013 [アート]

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一枚の葉書にスタンプされた、2013.02.30という数字を手にとって眺めていたのは昨日の午後。
もう一枚の葉書にも2009.02.30MILANという日付が眼に焼き付いた。
どちらの日付も決して地球上での約束では訪れない日だと、その人は言った。
その日は、やってこない日。妙に印象に残った葉書を見た時間。夢の時間。
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神奈川県藤沢の駅から徒歩数分のギャラリーatelier K irigirisさんへ、メールアート展"THE FUTURE"をみて来た。梅雨の世界に包まれた蔦の館の中。伺うのは三度目だが蔦が主役のそのギャラリーは心地よい時間が流れていた。一枚の硝子を隔てた夢の時間。
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メールアートとは1960年代に始まった運動のようだ。今から50年の昔、世界は何を求め、何を騒いでいたのだろうか。同時期ネオ・ダダという運動もあったという。メールアートとは郵便というシステムを利用して世界が繋がるという藝術活動だと言う。ただ一つ郵便を利用したアートと言うだけで、他は何でもありの多様な世界。此の日、郵藝家のナカムラさんの、「メールアートとは何か」のレクチャーがあった。http://k1naka-essey.blog.so-net.ne.jp/2011-03-21
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世界数十カ国から123点を超える参加がメール(電子メールでなく郵便を通じて)として送られてきたという。送り、送られて来るというプロセスや、そのネットワークが、魅力の世界。百聞は一見にしかず の世界。手にとってみれる展示でした。モノがあるって存在感は電子の世界には無い強味。不思議なメールアートはスイスから送られて来た、チョコレートのパッケージのまま切手が貼られて届いたもの。溶けないでやって来たその世界にも驚きでしたが。
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高校時代、同級生が郵便配達のアルバイトをしていたのを思い出した。彼の黒い郵便鞄にはぎっしりとダイレクトメールが詰め込まれていると言っていた。今から40年以上も前の話だ。彼が配達するダイレクトメールは封も切られずにゴミ箱行きのものも沢山あると彼は嘆いていた。もちろん大事な手紙や懐かしい便りも郵便物には含まれていたのだろうが。郵便配達のアルバイトで彼は無医村の島の医者を目指していた。40年後の彼は今どこにいるのだろうか。郵便というシステムは電子メールとなって、いまや電子メールの電子も消え、メールは携帯で見るというスタイルが日常だ。
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茶封筒を折り畳み、紙飛行機になった手紙が、空間に展示されていた。谷川俊太郎のエッセーで、病院の窓から路上を通る人達に、紙飛行機の手紙を折ってそっと投げる少女の話を思い出した。あの手紙には何が書かれていたのだろう。
茶封筒の紙飛行機は、ギャラリーの郵便受けの上にそっと着陸していたという。
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昔著名な時計会社のCMで、TIME IS NOWというタイトルと同時に世界中の場所に、色々な人々が同時に暮らしているという瞬間を映し出す映像が印象に残っている。時はひとつ、世界は多様だ、あの世界は今もあるのだろうが何故か薔薇色ではない。
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ギャラリーは魅惑に満ちた空間だ。何故か渋沢龍彦の世界や、滝口修造の世界を感じさせる。蔦に包まれた緑の部屋で、メールアート作品の集積を見せていただけたナカムラさんの世界の一室。
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メールアートの箱の中の不思議な世界は謎がいっぱい。
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アトリエ・キリギリスはhttp://atelier-kirigiris.com/top/top.html

2022 [アート]

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2012年6月5日神奈川県藤沢のギャラリー「アトリエ キリギリス」さんから美しい招待状が届いた。未来からの招待状。とりあえずの未来は2022年としておこう。此れから十年後の未来、確実に私もこの星も歳をとる。星にしてみればアッという間もない一瞬だろうが、私は老化が結構なものだろう。子供達は十年で大きな体験と成長を重ねるであろう。もしも2222年の未来ならば世界はどうなっているだろう。世界中を郵便で結んで「THE FUTURE」というテーマでメールアート展が開かれるという。既に多くの作品100点あまりと、メッセージが届いている模様です。藤沢のお近くの方足を運んでみて下さい。
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国や文化、言語を超えてキリギリスに届いた「未来」。作家達の手を離れて今此処にある其の作品こそが未来からの手紙になってしまうのでしょう。
メールアートの不思議な世界。最近はまってしまっています。アーチストは詩人であり、医者であり、弁護士であったり、音楽家であり、職人さんであったりさまざまな職業を持つ人達が参加しているそうです。確かにメールアーチストでは職業とはならない世界なのでしょう。
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今生まれたばかりのキリギリス君十年後には何代目のキリギリス君の世界を迎えているのでしょう。
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郵藝家 中村恵一氏のメールアート所蔵作品群も展示されるそうです。
メールアートは何か?中村さんのブログで詳細があります
http://k1naka-essey.blog.so-net.ne.jp/2011-03-21
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http://atelier-kirigiris.com/top/top.html

1980 [アート]

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1980年の11月、パリへ一週間程出張した。お土産に裏通りの雑貨店でバスケットに入って石畳の上の足下に置かれていた、木製の真っ赤な駒と、巴里の空気の缶詰を買った。並木のプラタナスの大きな葉っぱを拾い、壁に貼ってあった猫のポスターをこっそり剥がして、おみやげにした。最近何処の国でもポスターって見かけなくなりました。この当時は気がつかなかったが、それから十年後の1990年代のパリでは、petit graff(プチ グラフ)が路上で流行ったらしい。1993年発行のPARCO出版による、藤田一咲著「巴里の落書き」が書棚にあった。NYで地下鉄や高架下での落書きが有名になったが、パリでは少しかたちを変えて上陸したらしい。小さなステンシルによるモノクロームの落書きで、顔や人物像が多かったようだ。
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ランボーはパリジャンにはいつも身近かな存在なんだろう。
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さりげなく主張していますねー
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プチグラフ(かわいい落書き)の存在、そういえば渋谷の高架下などでも見かけました。何か謎めいた存在も気になるところですが、今もあるところにはありそうですね。この本では等身大のマリア像なんて落書きも登場していました。
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