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五月九日 [光]

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モノクロフイルム全盛期の時代に、カメラメーカーに手紙を書いた。カメラのファインダーから見える光景をカラーから、モノクロームに変換した光学ファインダーは、出来ないのかと。メーカーからは、丁寧な返事があった事だけを記憶している。ニーズとコストの両面でそれは実現しないと、いつたような解答と記憶する。現代のデジタルカメラの液晶ファインダーでは、モノクロームも、カラーも観れ、自由自在だ。だが、ふと考えた。見えている事とは何だろうか。
人間が観る世界とは。尊敬する杉浦康平さんの話に、アジアの音を収集する頁を開いて納得した。
マイクで拾う感性とは、人間の耳とはまつたく違う。録音するとは、マイクと付き合う事。とある。
そうか、カメラの目も人間の目とは違うという自明の事。
カメラという存在に何か深いものを感じます。ネガとポジが同居したようなミモザの葉の光と影に何か心惹かれました。写真を撮ることは、自画像を描くことと同じ。
「もの買ってくる、自分買ってくる」
カメラで撮影する事は、カメラ的感性を働かせ、カメラになりきれ!
杉浦康平さん、有り難う御座います。

五月四日 [光]

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歴史を考え、知る事により、未来が見えてくる。過去と歴史は何処が違うのか?過去とは消えた時間のみ、歴史とは積み重なった真実の厚み。

湘南大磯で春鰤が6000余尾の大漁、大正14年。

四月二十三日 [光]

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以前、伊那地方で使われていたであろう材木の墨書きの判型を、針金で箱型に繋ぎ灯りを作った。文字が中の光源で浮き上がり、壁に文字が投影され、幻灯機のような効果をあげてくれる。
尺八寸とは材木の幅を意味するものだろうか。真鍮やブリキの型は何回も、何千回も使われたのだろう。墨跡が金属の裏側に厚い層となって残っている。型を発明した人間の最初の出来事は何だったのだろうか。縄文人が粘土の上を縄を転がし喜び、祈るような様が型の発生を思うと浮かぶ。アルタミラの洞窟で自分の手形を無数に残した人の手から、キーボードでコピペする現代。複製と量産の歴史も思う。雛形とは何か魅惑に満ちている世界だ。

昭和8年4月23日 湘南大磯にて一万三千尾の鰤大漁。
昭和14年4月23日 鰤三千尾 一尾3円20銭内外で仕切り。

昨日98歳になるご近所の方の、20歳の当時の写真をお見せいただいた。セピア色の78年前の写真には満州牡丹江という都市に兵隊としていかれた時という、今も面影が残るその眼差しが写っていた。1937年昭和12年の空気がその写真には写っていた。この二年後ノモンハン事変が5月に起きる。20歳の写真どんなカメラとレンズで撮られたのか興味深い。

四月二十二日 [光]

今朝は快晴で、五月頃の陽気になりそうだ。
近所の東海道の一画に、八重桜と満開のしばさくら、同じ桜の天と地の競演。
明日から三日間、大磯でのガーデニングオープンのイベントが開催されるそうだ。
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二月十一日 [光]

明治45年の今日、志賀直哉28歳、大磯に自動車で行き泊まる。翌日小田原に午後出かけ、梅本で芸者を呼んで食事をする。
大正12年松根東洋城44歳大磯に吟行。
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隣町の駅ビルの階段踊り場の光景。平成二十七年の今日、日の丸の旗を掲揚する家が心なし多く感じた。

日の丸と冬の虹ある空ひとつ SILENT

一月二十六日 [光]

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テレビに映り込む朝の窓辺の光景。何故か今朝は、テレビに映し出される人々が役者達に見える。名演技の大統領、ギリシャのおじさんの困ったインタビュー、警察官の証拠隠滅は署内のゴミ箱へ、地球上の母たちの叫び、笑顔の首相、蒼ざめた大臣、真のテロリストとは誰なのか。総てが役者の演技であってくれればいいと思う今朝。
役者になれば、相手の真実の状況も少しは理解できるだろう。役者はフィクション以上の真実の世界を垣間見せてくれるだろう。
田「人は知らず、神は知る」現実とは事実とは何なのだろうか!

一月十八日 [光]

日曜美術館を見ていて、「星糞」というモノを知った。長野県に星糞峠という地名があるそうだ。方言で、ほしくそとは、星のかけらを意味するという。凡そ二万年前から峠付近に住んだ古代人が、星のかけらを加工したのだという。加工されたのは黒曜石。黒い水晶のような、火山から造られた石は、鏃やナイフや包丁として日本列島のあちこちに迄は交易して運ばれたという。黒曜石の破片は硝子のように透きとおり、青空にかざすと、美しい青に染まるそうだ。和田峠も有名な黒曜石の産地だ。あの黒い輝きが好きで手元に拳大のものがある。星糞峠には地面に、採取した跡の黒曜石の欠片が散らばっているという。勿論持帰りは厳禁だ。星のかけらを、星くそと呼ぶ言葉の響きに何か心動かされた。二万年前からいつの時代まで採取は続いたのだろう。震災から20年の歳月は、人によっては無限の時であったり、ある人には昨日のように近い人もいるだろう。二万年と二十年並べてはならないのだが、時とは何か?考えてしまう。近所の神社の境内で、カナクソという帰化人たちが鉄を生産した時の屑が見出された話を思い出す。「鉄糞」と書くのだろうか。
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昭和10年1月18日湘南愛馬倶楽部設立で、大磯他の観光路に蹄の音。とある。
写真家の濱谷浩さんは、この町に住み、こゆるぎ海岸で相模灘を背景に駆け抜ける馬たちの作品がある。その撮影年代もこの頃だったか。同じくこの町に住んだ吉田茂首相も、若き頃乗馬で通勤した話がある。場所は都内であったが。

臺湾 [光]

2014年臺湾の高雄(カオシュン)の市内より
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今回は高雄市内の様々な出逢いに圧倒されてコメントはありません

ばりとりの [光]

ばりとりの光磨けば五月晴れ  MUON

バリとう刃に魅きし初夏の女  ムオン

ばりとりに吾を忘れし木の芽かな 無音

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五月の連休は、家の廻りの日曜大工ならぬ、連休大工の作業です。万力に挟んだステンレスのL字金物のバリとり作業です。初夏の日ざしにステンレスの断面がVサインを発しています。ヤスリでバリを取り、磨き上げる作業を百個、表と裏で二百回の作業です。バリとはよく言ったもので、煎餅や、鯛焼、餃子の羽の様なバリが思いだされ、何か好きな言葉です。
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「バリ」という言葉に最初に出会ったのは、高校時代の銅版画の授業ででした。通常銅版を酸で腐食させ、其所にインクを刷り込んでするのですが、ドライポイントという技法は、直接版に、針等で描いてそれにインクを刷り込み、平らな部分のインキを拭き取って刷る方法でした。直接針で引っ掻くと、線の彫られた脇に、バリが生じます。言わば線の深さだけの容量が掘られて、線の脇に土手となって盛り上がる事だけなのですが、このバリがついたまま版を刷ると線の廻りに独特な滲みが生じるのでした。若き日のパウル・クレーの銅版画作品が、多くバリの効果が出ていると、銅版画の先生から教えられました。今でもユーグント・シュティールの時代のクレー作品が好きになったきっかけです。
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光り物が好きです。中国製のものであろう湯たんぽを最近手に入れました。湯たんぽは西洋や中国から日本へやって来たようで、彼の国では最初は瓶に、湯を入れ温める道具として使い始めたようです。円盤形の鈍く光る湯たんぽの真鍮の様な材質と、ハンダ付けのいいかげんな流れの後が好みです。分厚い素材ですが、柔らかな為かあちこち凹凸が出来、中世にやってきたUFOのような存在感です。

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真鍮の湯婆(たんぼ)の口に黄泉光る   むおん

日本製のブリキの湯たんぽの口金は、黄金色の真鍮の蓋が多かった。あばら骨の様なブリキの本体は表面積を増やし、強度を出す為の形体なのだそうです。口からは黄泉の世界が見えた印象を句にしました。
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ばりとりて湯たんぽ休む初夏の景  ムオン

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夏をまち硝子の膜の帽子かな むおん

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ひかりもんが好きで、銀色の簪を百円で買いました。見立てはブックマークとして使います。
分厚い本に似合います。外に持ち出すのは恥ずかしいので、家の中で使います。

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かんざしのぶあつきほんをよめば夏 むおん

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さらさらと夏連れて簪くる  無音

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ばりばりと餡子のような夏がゆく

月灯甘露 [光]

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秋の夜更けの始まりは、電柱の上に三日月の火が灯る事からと、天空にレンズを向ける。
真夏の夕暮れ時は、総てが蒼く染まる世界好きだ。それよりも秋の夕暮れは藍を溶いた様な暗さを感じる。夕暮れ時のバイクのミラーに、反射していたのは衰え始めた太陽の放射線。
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川面の白鷺も青い月光を浴び始めていた。
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家々の屋根も蒼い帳に包まれて、思ったより明るい月光が屋根を包む。
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その街の片隅で、夜遊びに出た猫に出会った。何か驚いた表情で、こちらの様子を伺いっぱなし。
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背を高々と持ち上げて、俺は大きいとアピール。こちらには狼の末裔の彼が側にいた。
彼は素知らぬ顔で、ちらと猫を見る。
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以上は昼間の写真に青の色調変換で夜のイメージに変えた画像を使用しています。

此の街の猫は、馴れ馴れしく近づいてきて媚びてくる様な輩が多い。
猫達もそれぞれの個性があるのだろうが、野良猫で野生の激しさを持った様な奴には出会わない。
秋の夜は、家に帰り甘露を盃に注ぐのが楽しみだ。インドで作られた金属のぐい飲み、注がれた液体は思い切りキリリと冷える。ヒマラヤの雪解け水のように。
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濃厚な赤の葡萄酒も似合うのだが。
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唐津は中里隆さんの隆太窯の、ぐい飲み。竹べらかで絞られたその側面の丸みが好きだ。
上から見ると梅の花弁の様なかたち。粉引きは好きな器だ。
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同じく唐津の中里家の御長男の作品、隆さんは四男だったのでは。流麗な秋草の流れが、甘露の輝きとよく似あう。使い始めて数十年経ち、酒がしみ込み不思議な雨だれ模様を生じてきた。
辛口の酒が似合う気がする。
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鮫肌の何かの武士を連想する様な、益子の現代作家のぐい飲み。
岩肌から美酒が沸き出す様な気配が好きだ。
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益子のぐい飲みに、種子島の南蛮焼きの木の葉の小皿。今宵のつまみは何をのせようか思案中。
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最近我が掌にやってきたぐい飲みは、練り込みの作品。一見した時アフリカのクバの布が、盃に変身した様な驚きを感じた。二色の土が有機的な木の葉の様な、人体のパーツの様なかたちにも見えるもので、組み合わされてぐい飲みになっている。一瞬見てモダンな物を感じた。二色の効果が器を小さくすっきりしたものにしていて、柄の煩さを感じない。無地を超えた極上の姿。
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秋とは、美酒が似合う季節だ。
以上好みのぐい飲みの紹介となってしまいました。
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