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あなたへ! [言葉]

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メールアートで東北関東大地震の被害を受けた方々に何か出来ないかとのお誘いで
参加させていただいた。一枚の葉書です。メッセージは我が家の7歳になる叔父さん犬がモデルです。次男がスケッチしたものに私がコピーを加えました。被災地の方々の心と身体が、元気になられることを祈っています。毎日が日常にある世界から非常時の世界へどんな言葉が必要なのか素直にはなかなか言葉がでてきません。
災害地は98歳になる母の故郷であり、自分も小学校時代の夏休みにお世話になりました。
多くの方の顔や声が浮かんできます。無事であることを唯只管祈っています。
メールアートのプロジェクトは以下でご覧になれます。
http://you-project.net/
そしてメールアートとは
http://k1naka-essey.blog.so-net.ne.jp/

自然と人間 [言葉]

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最近二つの言葉に開眼しました
「自然」と「人間」
ふたつの言葉は「しぜん」と「にんげん」と読んでいました。
或る時代か今でも「じねん」と「じんかん」と読む事も知りました。
読み方が異なるとその言葉の意味も変わってくる事を知り驚きました。
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この町に住んだ九州は薩摩出身の樺山資紀という方の別荘が山の手にあり、農園を構え「自然亭」と伊藤博文が名をつけた建物があったそうです。当時は「じねんてい」と読んだそうで、此の時代の自然という文字の意味するところに興味が募りました。
ウイキでは、 自然「じねん」は自然の呉音読みであり、「しぜん」と読んだときとは違った意味を持つようになる。自然(じねん)とは、万物が現在あるがままに存在しているものであり、因果によって生じたのではないとする無因論のこと。仏教の因果論を否定する。外道の思想のひとつである。
また外からの影響なしに本来的に持っている性質から一定の状態が生じること(自然法爾)という意味や、「偶然」「たまたま」といった意味も持つ。
「おのずからそこにあるもの」といった意味がある。とあります。
人工でないものが自然(しぜん)であり、作為的でないものが自然(じねん)です。いずれにせよ、注意すべき点は、どちらもきわめて美学的な概念であるということです。
って様な言葉も探せます。
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二つ目は「人間」にんげんから 「じんかん」へ
この言葉は「人間至る所青山あり」という言葉を「じんかんいたるところせいざんあり」と読むという話から始まりました。じんかんとは人の間という意味の様です。世間でしょうか。

ウイキでは、関係性に着目するために「人‐間(あいだ)」という名称があてられたとされている。人間は「社会にあるひと」を指す言葉である。また「人間」と書いて「世の中」「世間」という意味にもなる[1]。この場合「じんかん」とも読み明治期までは「人間(じんかん)に交わる」といった表現もよく使われた。
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語源由来辞典では、http://gogen-allguide.com/ni/ningen.htmlとあり、
人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま)もじんかんと読むんでしたね。
じんかんイタルトコロせいざんアリの青山は漢詩の中でうたわれた「墓」の意味だそうです。
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江戸期において僧釋月性の詩『將東遊題壁』より、男兒立志出郷關 (男児志を立て郷関を出ず)學若無成不復還 (学若し成る無くんば復た還らず)埋骨何期墳墓地 (骨を埋むる何ぞ墳墓の地を期せん)人間到処有青山 (人間到る処青山あり)と詠まれ有名になったとか。
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張り巡らされた電線は世界を結ぶ「リンク」の関係にも見えてきます。
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冬の雲たちの表情は本当に豊かです。
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人間いたるところ自然ありでもあるのですねIMG_7144.jpg



秋光 [言葉]

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切通し先ゆく影は秋の中
なにげなく見ていてはいけないのか
こころの侭にシャッターを切りました
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曼珠沙華好みしものは夕陽影

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秋の光は涼やかで少しだけぬくもりを感じる。
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天風 [言葉]

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五色旗とはお釈迦様の知恵をあらわすそうで、大日如来を中心に五智如来を現す色が
以下のようになるそうです。天空の虹の色ですね。
1 中央 白色 南無広博身如来(こうばくしんにょらい)
   おいしいものが食べられるようになる
2 東   青色 南無妙色身如来(にょうしきしんにょらい)
   みにくくいやらしい姿が変わって、円満な姿になっていくこと
3 西   赤色 南無甘露王如来(かんろおうにょらい)
   仏教の教えによって、無上の喜びを得ることが出来る
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4 南   黄色 南無過去宝勝如来(かこほうしょうにょらい)
   悪欲をのぞき、自らの心を清め、他に対して思いやりの心をよみがえさせる
5 北   紫色 南無離怖畏如来(りふいにょらい)
   すべての恐れから逃れられて、生きがいの道をみいだす

明治はいい時代だったか [言葉]

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日露戦争大日本赤十字野戦病院負傷者救療の図 野田図書館所蔵作品より
平成27年7月24日東京三田慶応演説館で行われた演劇評論家の犬丸治氏の演説から、演劇人・高橋誠一郎 観客として・先導者として 
明治21年4歳の頃から高橋氏は歌舞伎を見始めたと言う。4歳の子供でも大人達につれられて歌舞伎を見れる時代だったのだ。自分の体験では巡業一座の劇団の田舎芝居を10歳頃に見た体験が記憶に残っている。おどろおどろした雰囲気が小屋全体に包まれていたのを思いだす。照明と暗くて狭い空間に押し籠められた感じ。蓙でも敷かれていたのだろうか。明治の都内の劇場でも初期は土間で枡席だったそうだ。明治27年10歳で日清戦争劇を多く見て、絵草紙屋で錦絵に親しんだそうだ。日清戦争は明治27年に始まっている。川上一座の日清戦争劇はニュースであり時の名優達を見る先端のメディアであったのだろう。
明治をよき時代と考える者は 日清戦争以後に物心の附いた人達に多いのではあるまいか。度重なる戦争で不感症に陥り、戦争に酔いしれて、戦えばいつも勝つものと思い込んでいた時代に育った人達ではあるまいか。昭和43年の明治開眼 三田評論から
明治は長い 何処に焦点を当てるかで この時代から受ける印象は違う


私は明治をあまりいい時代とはおもっていません
舞台で 李鴻章が 眼をえぐれ、鼻をそげ、と言った台詞を、、、
10歳の子供は恐怖を覚えたという。町に出れば戦争で亡くなった葬列者の葬式の長い列。

今の子供達にこんな恐怖体験はあるのだろうか。ゲームで映画で恐怖のシーンはふんだんに溢れる。何かが違う。戦争がこの国にもあった時代。生々しく絵草紙や劇場、新聞で歪曲されても伝えられた時代。隠されたものは今より少なかったのかも知れないとふと思う。多くが露出されているように見える今日の世界、本当に必要な情報とは何か考える。そして自分自身で考える時間を増やさなければと思う。

六月の異称 [言葉]

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水無月、水月、未月、旦月、季月、焦月、松風月、涼暮月、鳴雷月。

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