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10月21日 [旅]

昨日は鎌倉を旅してきました。昔のシネレンズで昔の記憶を撮影。16ミリフィルムの一齣のように惚も滲みもありの世界です。久しぶりに持ち出したフランスアンジェニューのレンズは銀幕の世界を思い出しました。コースは鎌倉駅から、大刀洗、朝比奈峠の切り通しまで行かず旧朝比奈街道を見て、冥王院、浄妙寺、報国寺の竹寺、から鎌倉駅へ。
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小町通の朝
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わーお 鎌倉
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駅裏
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朝日
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大刀洗
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朝比奈街道
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野犬が昔いた森
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冥王院
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浄妙寺
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アンジェニューの眼
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報国寺竹の寺にて
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赤がシネマのように深い色
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御朱印をもらう方は多い 許可を取ってお手元を撮影
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竹取物語の世界へ
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凄いとは世界共通の二人
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かぐや姫登場
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竹の道
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かぐや姫退場
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帰りの電車で見た光景
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この人といえば茅ヶ崎
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茅ヶ崎駅ホームにて
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この夏の最後の暑さの名残の日

6月17日 [旅]

伊豆の一碧湖までやってきました。
蛍の川までは、雨で行けませんが湖畔に泊まります。

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霧の湖畔包みし宿涼し ムオン




6月13日 [旅]

数日前、茅ヶ崎駅にでかけた。駅ビルの最上階からの展望は40年前始めてこの街を訪れた時からの、時の流れを旅することになった。

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平屋の駅が昔はあった。跨線橋の階段を降りて古びた改札口を出た。大工の熊さんが始めたという名の、ダイクマという店があつた。今見下ろす駅前のタクシーの屋根の数に驚いた。


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ベルリンの天使になった気分で、流れた時間を思います。

昨日は隣町のロードサイドの店に出かけた。原色のストアー。悲しくなるほど呆れるアメリカン。アメリカのイミテーション。溢れる横文字は今に始まった事ではないのだが。

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見上ぐれば大看板の紅き夏 無音


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6月10日 [旅]

隣町の小田原に出かけました。何か旅をしているように光景を眺め、写真を撮ると本当に旅をしたような気分になります。誰かが、旅は見知らぬものや、見知らぬ事に出会う事。もう一つ、懐かしいものに、出会うことと言っています。

今回の写真は懐かしさに溢れたものを撮りました。

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5月02日 [旅]

鎌倉へ出かけました。小町通は未来へタイムスリップしたかのような世界。若者だらけで中高年は何処かへ避難中のよう。裏通りの静寂な路地を選んで目的地に一目散。

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真夏日に路地の女優の笑み涼し 無音





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3月30日 [旅]

西に約300K、18切符で出かけてきました



         青春を旅する春の列車かな    むおん



日の出と共に出発しました
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         弁天島を通過する春の海列車   むおん



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         新幹線春の光をかき消して   むおん

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見知らぬ駅の階段を上がる人


         見知らぬ光景に人生が出会う春  むおん


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         撮り鉄ににわかになりて春が行く  むおん


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         江戸と上方に樽載せ船の春の旅   むおん


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ビール工場のレンガの赤に春の空、カブトビール復刻版一本求めてリュックに入れる。

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日本で最古という明治の跨線橋がある駅

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    SLのとまりし時間春の雲   むおん




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2月17日 [旅]

この町に住んで10年が過ぎた。大正時代末期に建てられた家が、跡形も無く壊されようとしている。恐竜のような頭の、機械があっという間に、100年近い建物の歴史を白紙にして行く。100年前の光景と大地がそこには生まれるのだろうか。残したかったのだけどと年老いた女性が、その光景に背を向けて去って行かれた。

我が家では男の子達だけの子供だが、小さな雛達は三セット今年もお目見えする。
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最初の豆雛は奈良の町で出逢った。

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ふたつめのカップルには、東京青山の町で。

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最近の雛達はこの町で会う。
大正の家でも、紅い毛氈の雛壇に飾られていただろう姿を想像する。
この町でもママチャリで闊走する若い夫婦の姿が増えている。

十一月三日 [旅]

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今日十一月三日は、箱根湯本で大名行列が開催されたそうです。賑わう湯本の町を通過して仙石原にいます。ススキの高原は凄い人出でした。

八月八日 [旅]

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昨日新宿伊勢丹百貨店の一階の売り場で、婦人靴下を買った。久しぶりの百貨店の売り場なので、鞄売り場の女性に、婦人靴下の売り場を聞いた。正面玄関入ってすぐの柱周りにその婦人靴下のコーナーはあった。SALEとパネルがある靴下のバーがあり、正価で売られるものと数点の靴下が売られていた。二足を選びレジカウンターで「他のフロアーかこの一階にレディース・ソックスの売り場はありますか。」と年配の品の良さそうなレジの彼女に尋ねた。「ブランドのショップの中に御座います。」と答えが帰ってきた。『ブランドの箱の中にしかないのですね』と私は再度確認した。『左様で御座います』と当たり前の答えが帰ってきた。ここで「どのブランドでは靴下を追いていますか」と聞くのは野暮と考えた。かってこの百貨店でも婦人靴下の売り場は、業界用語で『平場』といって靴下だけのコーナーが一角を占めていた。『箱』とはブランドの一つだけで成り立つショップで、巨大な百貨店の中に文字通り、箱型に仕切られ独立した空間で、著名ブランドのCHANELや、Diorなど、直輸入型の海外の本店と変わらぬ内容で商売をする。百貨店にはこの、『平場』という単一品種を各社の品揃えで揃えた
売り場と、『箱』型の売り場の、大きく2種類で構成されていた。
専門店型の他店では、家電に特化したり、医薬品に専門化するなどの専門店が発達した。
平場の構成は、大衆型の消費者に向けた売り場なのだろうか。近年はセレクトショップで箱と平場の中間の構成をした店が多い。新宿は銀座の海外からの直営店や、フランチャイズに対抗して、売り場構成を大きく変えていた。デパ地下も含め現代の日本の縮図のような売り場の叫びを感じた。消費文明は何か行きずまった気がするのは自分だけなのか。
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屏東 [旅]

台湾の高雄の駅から、列車に乗って屏東迄出かけたのは2014年8月23日の事だったろうか。列車は懐かしいツードアーの客車、進行方向に二人懸座席が並ぶ懐かしい列車だった。高雄の駅も終着駅の屏東も駅周辺は工事の最中。大きな駅ビルや拡張工事が進行中。月台と描かれたプラットホームが何故か人も少なく心休まる光景。紅い列車や、蒼い列車が彼方に泊まっているのが見える。屏東は、ピントンと発音するらしい。台湾で最も南の県が、屏東県だそうだ。高雄からは東に山の麓の街が屏東駅のようだ。列車で1時間弱のどかな車窓の旅を楽しんだ。
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列車内の座席の前列に母子の姿があり、小さな男の子が恥ずかしそうに座席の上から顔を出す。小さな手と悲鳴の様な高い声まあ可愛いから辛抱するか。
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いないいないばあ!
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懐かしい座席前のネット
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途中と待った駅にはホームに鉢植えのかなり大きな木が置かれていた。
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大きな川を渡り、古い鉄橋が目に入り気になる
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途中で古い鉄橋は途切れているのが印象に残る
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後からネットで鉄橋の由来が判った
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此の子が見た、50年後の車窓風景はどうなっているのか妙に気になる。
昔の鉄橋の出来た頃の話がネットにあった。以下引用ウイキより。

今から百年前の、1911年初頭、高雄港での軍事物資と人員の輸送増加、屏東平原で生産された砂糖製品の輸送の増加、平原上の豊富な生産物の開拓のため、台湾総督府は鉄橋の建設を開始した。

高屏渓の川幅は広く流れも急であり、建設は難航を極めた。しかし阿猴城(現屏東市)の人口や商業交易規模が拡大し、さらに製糖工場の規模と生産量が相当なものであったことから、総督府は早急な建設を促した。

こうして鉄橋は台湾総督府の日本人技師飯田豊二が策定した工期を3年とする計画の下、1913年末に竣工した。総工費は当時の金額で130万円あまりであった。工事期間中、何度も豪雨や増水に見舞われ、飯田は疲労の蓄積から病に倒れてしまい、鉄橋の完成を目前にした1913年6月10日、台南医院でこの世を去った。友人の小山三郎らによって遺墨が作られ、九曲堂駅横に埋められるとともに、資金を集めて記念碑が建立された。

1913年12月20日、阿猴駅(現屏東駅)と九曲堂駅の間が開通し、翌1914年2月15日には打狗駅(現高雄港駅)までが正式に開通した。当時の台湾総督である佐久間左馬太が出席している。
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百年の時の流れを車窓の外に見た

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